北杜夫「白きたおやかな峰」 堀江敏幸が聴く

2017年03月12日

北杜夫(1927~2011)。精神科医でもあった

■滑落の危機も平坦に華麗に

 一九五八年秋から翌年春にかけて、北杜夫は漁業調査船に船医として乗り込み、インド洋から欧州までの航海を体験した。帰国後に発表した『どくとるマンボウ航海記』は、絶妙な自虐をまじえたユーモラスな語り口によって多くの読者を獲得したが、「どくとる」にはもうひとつ、硬派な一面があった。それを確認するには、ナチスの医療行為を扱った『夜と霧の隅で』や、父親である斎藤茂吉を軸に、一族の歴史を描いた長篇『楡家の人びと』を挙げれば十分だろう。
 ふたつの顔を持ったまま、彼は一九六五年、あらたに「ドクター」となって、パキスタンはカラコルム山脈ディラン峰登頂を目指す登山隊に参加し、その記録を『白きたおやかな峰』に昇華させた。「白き」と書くなら「たおやかなる」、「たおやかな」としたければ「白い」とするべき措辞が混じり合ったこのタイトルは、「どくとる」と「ドクター」を併せ持つ語り手の立ち位置を代弁している。
 高校時代の先輩にあたる隊長にくどき落とされて承諾したものの、ドクターは登山家でもなく、医者といっても精神科医だから応急の外科手術もおぼつかない。さらに本業は作家というあやしげな存在だ。それが、当事者でありながら当事者でないような語りの距離感を小説に与えている。「自然が太古から一鑿(ひとのみ)々々彫り刻んできたこの壮麗な記念碑を、一体どう表わしたらよいのか」。そう自問しながら華麗な描写を繰り返すのだが、淡々と進む物語が一挙に動き出すのは、もう九割五分を過ぎたあたりのことである。
 著者が朗読に選んだのも、終幕近くにあらわれる叙事詩のような箇所だった。行文の気高さと鈍さの残る抑揚がどうにも釣り合わないけれど、いつ雪庇(せっぴ)を踏んで滑落してもおかしくない危うささえも平坦(へいたん)にならしてしまう「たおやかな」声は、北杜夫の文学そのものである。
    ◇
1960年代に発表された朝日新聞が所蔵する文豪たちの自作の朗読を、識者が聴き、作品の魅力とともに読み解きます。

■聴いてみる「朝デジ 文豪の朗読」
 朝日新聞デジタルでは、本欄で取り上げた文豪が朗読する肉声の一部を編集して、ゆかりの画像と共に紹介しています。元になった「月刊朝日ソノラマ」は、朗読やニュースなどを収録したソノシート付きの雑誌です。録音にまつわるエピソードも紹介しています。特集ページは次の通りです。
 http://www.asahi.com/culture/art/bungo-roudoku/

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