一九八四年[新訳版] [著]ジョージ・オーウェル [訳]高橋和久

2017年04月09日

■絶望が誘う「二重思考」の社会
 
 「売れた」ことと社会的事象の健全な因果関係がこれほど明確な本も珍しい。1949年に近未来ディストピア小説として発表された『一九八四年』は、ある時期には反共の象徴として、またある時期にはファシズムへの批判として大きな反響を呼び、70年近く読み継がれてきた。そして今回は、トランプ政権の顧問が就任式動員数を巡って発した「もう一つの事実(オルタナティヴファクト)」なる語を契機に読まれたわけだ。
 作品は、全知全能な「ビッグ・ブラザー」の管理支配下の世界と人間を描く。そこでは反社会的な思考はもとより、自由な恋愛も、個人の日記すらもが犯罪である。なぜなら、支配に不都合な存在や事実はあらゆる記録から抹消され書き換えられて「なかったこと」になるからだ。そんな社会では、矛盾する二つの事柄を同時に信じるための「二重思考(ダブルシンク)」が強いられる。2+2は4だが、党が5だと言えばそう思える——そんな荒唐無稽な状況を主人公は生きている。
 日記や恋愛や事実を武器に社会に微(かす)かな反抗を試みる者に訪れる過酷な宿命の確認は読者にお任せするし、現実世界の顧問の発言や報道官の虚偽の空々しさも今さら評するまでもない。彼らに権力を与える社会システムと支持構造への危機感が『一九八四年』を人々に読ませたことも明らかだ。
 だが、読んで現実のディストピア化をただ愁えたり、著者の先見と批判力に留飲を下げるだけでは意味がない。一貫性と責任意識の薄らいだ「二重思考」こそ、ネットが人々を無限に結びつけた結果、今世紀の社会に現実に訪れたものであり(主体の分裂を奨励する言説すらある)、トランプの勝利もその帰結の一つでしかない。それは対岸の火事ではないのだ。
 より危険な誘惑は、そうした現実への絶望がAIをはじめとする「真の(最善の)ビッグ・ブラザー」への期待に至ってしまう未来にこそある。その予兆に、何度目かの“『一九八四年』ブーム”は自ら気づくだろうか?
    ◇
 ハヤカワepi文庫・929円=34刷22万8千部
09年7月刊行。20代の購入が目立つといい、担当編集者は「若者は、古典というより現在の話ととらえて読んでいるようです」。

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