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築地市場の価値 人間と自然が共存する聖域

「つきじ獅子祭」の渡御祭で波除神社から宮出しされた獅子頭=2017年6月11日、東京都中央区築地

 東京の真ん中に、日本文化の宝物のような場所がある。築地市場である。そこには、400年もの歴史をもつ、海洋民族日本人の食文化に関わる暗黙の知恵が、ぎっしりと集積されている。築地市場はたんなる市場であることを超えて、世界にも稀有(けう)な生きた食文化博物館として、いまや世界中から注目を集めているのである。
 アメリカの文化人類学者テオドル・ベスターが、築地市場をフィールドワークの場所に据えたのは、市場が最盛期を迎えていた、1980年代末のことだった。その内部は、一般の人が容易に入り込むことを許されない、厳粛な雰囲気をたたえていた。彼は根気よく市場を訪問し続け、いつしか市場に働く人々の信頼を得て、誰からも「よう、ベスターさん」と呼びかけられるまでになったという。
 『築地』は、そんな文化人類学者による、渾身(こんしん)の築地市場研究の書である。そこには、人間と自然界とを濃密な絆で結ぶ、驚くほど豊かな食の文化が活写されている。ベスターによってはじめて克明に描き出された築地市場の姿は、欧米の読者に少なからぬ衝撃を与えた。現代都市東京の真ん中に、こんな興味深いスポットがあることを、多くの欧米人がこの本ではじめて知ったのである。

整った歴史資料

 彼らは観光客として、東京に到着するや、翌朝早く起き出して、まっさきに築地をめざす。場外に立ち並ぶ寿司(すし)屋など多彩な店舗に繰り出す前に、場内でのマグロの競りの現場に立ち会うためだ。彼らはそこで、魚を介して人間と自然が一体となり、のびのびと活動している姿を目撃して驚く。そのさまは現代世界では、もはや奇跡のように思えるだろう。
 築地市場には伝統と現代、人間と自然が、ほどよいバランスで共存しあっている。東京都の管理する中央卸売市場で、なぜそのようなことが可能となったのか。それはこの市場が一種のアジール(聖域)として、外の世界からの影響を直接受けにくい、一つの小都市をかたちづくってきたからである。
 ここには市場ばかりでなく、神社もあり、講堂もあり、図書室まである。「銀鱗(ぎんりん)文庫」と呼ばれるその図書室には、膨大な歴史資料が整然と収められ、海外の研究者にも知られている。『築地市場 クロニクル1603―2016』は、この図書室から生まれた。「築地魚市場銀鱗会」という文化団体の事務局長、福地享子によって編纂(へんさん)されたこの本は、日本橋魚河岸の時代から築地市場の現在にいたるまで、この自然と文化が一体となった「小宇宙」の全貌(ぜんぼう)を、貴重な図版や多くの写真資料を紹介しながら浮かび上がらせようとしている。
 ただ、築地市場をめぐるこれらの書物は、いずれも「レクイエム」として書かれている。築地市場は、昨年11月をもって閉場し、豊洲新市場に移転する予定になっていたからだ。その時点では、市場に関わる多くの関係者が、移転を悲しいことであるが致し方ない時代の流れとして、受け入れようとしていた。

移転の負の側面

 ところが、この移転計画はまことに杜撰(ずさん)で、市場に未来を開くどころか、市場の未来を殺してしまう可能性をはらんでいたのである。市場に働く多くの人々も、移転に反対の意思表示をするにいたった。『築地移転の闇をひらく』は、計画の経緯や食の安全だけでなく、伝統的な水産仲卸業者の仕事を分断する建物の問題など、移転がもたらす負の面を明らかにしている。
 豊洲新市場への移転によって、東京は自分の中の重要な経済的文化的機構の一つを、永遠に失うことになる。日本人は築地市場のような価値ある場所を失ってはならない=朝日新聞2017年6月25日掲載