悩んで読むか、読んで悩むか

つらさや苦しさにも複雑な味わい 斎藤環さん

2017年07月16日

61年生まれ。精神科医で批評家。筑波大学教授。『オープンダイアローグとは何か』(著・訳)など。

相談 先の見えない不安に押し潰されそう

 若い頃は「なんとかなるさ」と気楽に、前向きに頑張ることができました。けれども、もうすぐ50歳。仕事、親の介護、子どもの将来など、先の見えない不安で押し潰されそうです。私たちの世代は同じ問題を抱えていると思うのですが、周囲の人たちは元気でバイタリティーにあふれています。どうすれば、前向きに生きられますか。いい本を紹介してください。
 (愛知県、会社員女性・49歳)

今週は斎藤環さんが回答します

 若い頃はわりと楽観的だったのに、今は不安で押しつぶされそうなんですね。確かに中年期に抱える問題は、「なんとかしなきゃ」と思えば思うほど深刻に感じられますよね。
 あなたにお薦めしたいのは、ジョン・ウィリアムズというアメリカの作家が書いた小説『ストーナー』です。断っておきますが、わりと、いや、かなり地味なお話です。読後にもりもり元気が湧いてくる本でもありません。でもまあ、そんなエナジードリンクみたいな本は、そのへんにいっぱいあるじゃないですか。
 この小説は、平凡な男の平凡な一生を描いています。ドラマチックな悲劇や栄光と生涯無縁のまま、淡々と人生を終えた男のお話。
 主人公の名はウィリアム・ストーナー。彼は貧しい農民夫婦の一人息子として生まれ育ち、ミズーリ大学の農学部に入学します。その後ストーナーの関心は英文学に移り、大学の教員になります。ある女性に恋をして結婚しますが、虚栄心が強い妻とのすれ違いから結婚生活は惨めなものになります。それでも愛娘(まなむすめ)が生まれ、大学では助教授に昇進するのですが、ある学生の評価をめぐる対立から、それ以上の昇進の道は閉ざされてしまいます。
 40代になったストーナーは、「行く手には期して待つ何ものもなく、来し方には心温まる思い出などなきに等しかった」という心境に至ります。教え子と不倫関係に陥りますが、その関係も長続きしません。
 私がこの本を読んで驚いたのは、こんなに地味なお話なのに、実に味わい深い奥行きを感じたからです。そう、本書が教えてくれるのは「人生のつらさや苦しさにもさまざまなきめや風合いがあり、そこに複雑な味わいがある」という真理です。
 そのことがすぐに「希望」になるとは申しません。ただ、この小説は、私たちには経験を味わうために、「言葉」という精妙な感覚器があることを思い出させてくれます。どんな人生も「不幸」や「不安」といった貧しい目盛りで切り捨てるには、いささか豊かすぎるのです。
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 次回はタレントの壇蜜さんが答えます。
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 ■悩み募集
住所、氏名、年齢、職業、電話番号、希望の回答者を明記し、郵送は〒104・8011朝日新聞読書面「悩んで読むか、読んで悩むか」係、Eメールはdokusho−soudan@asahi.comへ。採用者には図書カード2000円分を進呈します。斎藤さんと壇蜜さん以外の回答者は次の通り(敬称略)。石田純一(俳優)、荻上チキ(評論家)、穂村弘(歌人)、三浦しをん(作家)、水無田気流(詩人)、山本一力(作家)、吉田伸子(書評家)。

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