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私たちの闘い 自分で動く:5 生活の向こうへ手を伸ばして

 ベランダの保存水の期限が切れているから、金曜のペットボトル回収日までに12本全部あけなくてはいけない。キャップをあけるたびに親指の絆創膏(ばんそうこう)がよれる。さっき、解凍しそこねたササミを切るときに怪我(けが)をしたのだ。2リットルのペットボトルを逆さにして水を出す。どっぷん、とボトルが大きくゲップを吐く。全てを空にすると、小さな台所シンクからは水があふれそうだ。排水口の渦を眺めながら、この水を買ったときのこと――震災を思い出している。
 いちばん覚えているのは、数日後だ。水道の水を飲んではいけない、という噂(うわさ)が立った。スーパーで水を買えるのは、赤ちゃんがいる人が優先だった。仕方ないからコインパーキングの自動販売機で、ミネラルウォーターを片っ端から買った。小銭をいれてボトルを取り出すのを何度も繰り返す。津波の映像が頭に浮かぶ。被災した人々の顔も。チャリン、ドスン、ガコガコ。みっともないし、狂ってる。でも今はこれしか正解が思い浮かばないのだ! 両手いっぱいにボトルをかかえて帰宅した後、この水だけで生き延びられるのはほんの数日だということに気づく。

未知に身を置く

 『原発事故で、生きものたちに何がおこったか。』は、人が消えた街における様々な生物の変化をわかりやすく解説してくれる。異変と生命の爆発がそこにはある。震災後、他の作家たちが被災地を訪れ、語るのをきくたびになんとなく肩身の狭い思いをした。表現者たるもの、という言い分より、自分の生活を優先しなければならなかったから。でもいまは、これで良かったのだと思う。この写真集が、私をそこに連れて行ってくれるのだから。ページをひらけば、緑のあふれる無人の街をみおろすことができる。
 『富岡日記』は、富岡製糸場で実際に働いていた少女の日記だが、操業開始時の話であり、後年の「女工哀史」に出てくるような悲惨さはまだない。才気あふれる名家の少女が、新しい時代に胸を膨らませながら他の少女達の手本となるよう懸命に努力する様が描かれている。この子を知っている――中高時代、みんなのリーダーだったあの子だ。そう思えたとき、この一冊は私の青春となった。実際に訪れた富岡製糸場の冬は、刺すような寒さだった。喫茶店に駆け込み、あたたかい紅茶を飲みながら、友人と「じぶんたちが女工だったら」と話し合った。頑張る?サボる? いやいやしょっちゅう医務室行きか……わたしは、こういう想像が大好きだ。

善良という錯覚

 いち生活者であり、善良な一般市民であり、行動はつねに正しい。そう錯覚しがちな自分には戒めとして『RED ヒトラーのデザイン』を。日常にひそみ人々をジワジワと連れ去っていくナチスの力をグラフィックとして一覧できる。極端なものというのは突然生まれるのではなく、ほんの少しの変化の積み重ねなのではないだろうか。生活の中から狂気は生まれるし、狂気のなかにも生活をしている人たちがいる。私だって、そこにいるのかもしれない。あの日の自販機の前で、みごとに生活と狂気を露呈していた。チャリン、ドスン、ガコガコ。
 生活から逃れることはできない。シンクの水がひいたから、次は猫のトイレを掃除して、風呂の水を抜く。ここにも渦だ。身を乗り出してピンク色のぬるぬるした汚れをスポンジでこすると、バスタブの縁に触れて前身頃が濡(ぬ)れた。生活、生活、生活……。年を重ねるごとに、私の手は創作以外のことに駆り出される。それでもペンを握り、手を伸ばし続けたい。自分から遠く離れたことを知り、生活圏では出会えない誰かと心通わせ、自由に想像したい。そのために本はある=朝日新聞2017年9月3日掲載

 気鋭の筆者たちが、5回連続で生き方について考察しました。今回が最終回です。