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日中国交回復45周年 関係の「漂流」正し相互理解を

日中国交回復を果たした当時の田中角栄首相(左)と周恩来首相(右)=1972年9月、中国で

 1972年9月の国交正常化以来、日中関係が問題なく推移した時期はなかった。戦争賠償、歴史認識(靖国参拝や教科書問題など)、台湾、尖閣諸島、安全保障などの問題が常に議論されてきた。しかし、20世紀末ごろまで両国関係は基本的には友好・協力的だった。日本の戦争への強い反省と対中経済支援の2本柱が、しっかりしていたからである。だが21世紀に入り、両国関係は不透明さ、不安定さを増してきた。我々はいま一度、原点に立ち返って日中関係を見直す必要がある。
 服部龍二著『日中国交正常化』は、72年の再考に役立つ。今日、国交正常化は早すぎたなど様々な意見が聞かれるが、本書では当時の状況がリアルに再現され、田中角栄首相、大平正芳外相、外交官僚たちが米国、台湾、世界の動向を見て、きめ細かく気配りしながら、中国側の周恩来首相、外交当局者らとギリギリのせめぎ合いを続けたことが理解できる。
 同時に、今日につながる日中間の主な基本問題が、当時すでに重要問題となっていたことも分かる。戦争終結については「不正常な状態に終止符を打つ」という表現を用い、「中華民国」(台湾)との国交正常化の連続性を保った。田中の「ご迷惑」発言の真意も丁寧に説明され、日中双方で「戦争謝罪問題は解決」との認識だった。
 尖閣問題も田中・周会談で話題になりかけたが、周は「今、これを話すのはよくない」と発言を避けた。これが「棚上げ」論の始まりとなる。

両国民の心は

 著者は最後に「国交正常化で置き去りにされたのは、未曾有(みぞう)の戦禍を強いられた中国人の心だろう」と語っている。「心の問題」は今や、中国人の心のみでなく、日本人の心も問題にする必要が生じている。中国の「居丈高な態度」、嫌中感を強める日本の態度が目立っているからだ。
 これに関しては(1)中国の中でポジティブな意味での「新日本観」が生まれていること(2)両国の思想や発想の違いを理解すること、が大切になってくる。
 (1)では、21世紀初頭に「対日新思考」として中国国内で大論争になった『〈反日〉からの脱却』(中央公論新社・品切れ)の著者・馬立誠らの模索、在日の毛丹青らによる『知日 なぜ中国人は、日本が好きなのか!』(潮出版社・1620円)が中国で評判が高いことに注目したい。(2)では、同文同種論の誤解を説く王敏著『日中2000年の不理解』(朝日新書・品切れ)が、民俗学、文化論のまなざしから日中の異なる思考パターンを論じている。
 「似て非なる」日中文化比較を行った傑作は、陳舜臣著『日本人と中国人』であろう。日本は中国の「理念」を浴びるように受けたが、中国の「現実」はほとんど見なかった。日本の血統主義と中国の文明主義の差異も鋭く指摘されている。

新しい段階に

 一方、2010年ごろからの日中関係の悪化を分析した毛里和子著『日中漂流』は、正常化以来の双方の抑制的態度から「一線を越えた」新しい段階に突入したとして、軍事パワー重視の中国外交を解き明かす。中国の大国化と外交の強硬化が進み「核心的利益」を強調するリアリズムと力の外交が目立ち、安倍首相もこれに対抗すべき力を重視していると指摘する。本書は関係の制度化、理性化、力による対抗や軍事行動の抑制を求めた多元的枠組みに日中関係を組み込むことを説くが、現在はその見通しが立たない「漂流」が続いていると言えようか。
 日中の未来にとって互助・協力は極めて重要である。だからこそ、相互理解を深めることの大切さは、古くて新しい日中間の課題なのである=朝日新聞2017年10月1日掲載