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宗教改革500周年 不条理を克服する希望と愛

 今からちょうど500年前の10月31日、マルティン・ルターによって「宗教改革」の幕が切って落とされた。当時ローマ・カトリック教会が売り出していた「贖宥状(しょくゆうじょう)」に対してルターは、人間は本当にそんなもので救われるのか、と疑問を投げかけたのだ。それは彼自身の意図をこえて大きな騒動に発展し、結果として「プロテスタント」が生まれ、欧州の政治的変動につながっていった。宗教改革の神学者たちは、人々の労働観にも影響を及ぼし、自然科学や社会科学などの学問、そして芸術にも刺激を与えたのである。
 日本でキリスト教徒は、総人口の1%しかいない。だが、99%を占める非キリスト教徒も、冷徹に宗教改革という出来事を振り返れば、単なる世界史の復習にとどまらず、「宗教とは何か」「人間とは何か」という根本的な問いに向き合うことができるだろう。例えば、次のような三つの角度がありうる。

不思議な物語

 まず一つは、宗教改革に関する基本的な事実を通して、人間社会の矛盾と希望に目を向けることである。深井智朗の『プロテスタンティズム』は、ルターの思想とその背景、および後の影響について大変わかりやすく整理しており、事柄の全体像を把握するのによい本だ。本書では、純粋な宗教的信念も容易に政治に絡め取られ、人々に利用されてしまうという野卑な現実も率直に解説されている。だが同時に、プロテスタンティズムの歴史には「異なった価値や宗教を持つ者たちがどのように共存していけるのか、という作法を教えてくれる」側面があることも指摘されている。キリスト教の歴史は、人間の栄誉と恥辱が入り交じった不思議な物語だと言えるかもしれない。

信仰とは何か

 二つ目は、キリスト教の内在的な論理を知るためのケーススタディーとして、宗教改革に目を向けてみることである。宗教の論理は、現に歴史を動かす無視できない力である。佐藤優の『宗教改革の物語』は、そのことを理解するのにおすすめしたい一冊だ。本書が扱うのは、ルターより100年前のチェコの神学者ヤン・フスである。よって厳密には500周年の範疇(はんちゅう)からは外れるが、宗教改革の先駆的議論を例に、読者は神学特有の論理と思考を疑似体験することができるだろう。ただし、本書は単に神学の解説を目的としたものではない。一見やや強面(こわもて)の佐藤だが、本書は彼が真摯(しんし)に「愛」について触れた稀有(けう)なエッセーでもある。佐藤によれば、フスの物語を通して確認できるのは「いかなる時代にも信仰、希望、愛が消え去ることはないという真実」なのである。
 三つ目は、宗教を信じる、という不思議な営みを理性的に捉え直すきっかけとして、この節目を意識してみることである。宇都宮輝夫の『宗教の見方』は、宗教とは何なのか、宗教と非宗教の境界線はどこにあるのか、何かを信じるとはどういうことかについて「非宗教的な態度」で考察した、宗教学の入門書である。宗教社会学者であると同時にプロテスタント神学にも精通した宇都宮は、20世紀を代表する神学者カール・バルトが論じた「真理と確実さを求める人間の欲求」についても触れている。それこそ「人間の宗教性そのもの」とも言えるからである。
 最近、グローバル化の時代だから宗教リテラシーが必要だ、という声も耳にするが、重要なのは、単に各宗教に関する雑学を身につけることではなく、宇都宮のように、「人間」「社会」そのものについて実直に探求していくことではなかろうか。
 この500周年の節目は、宗教の不可解さと、人間社会の矛盾と不条理、そしてそれらを克服する希望と愛について、再考する機会にしたい=朝日新聞2017年10月29日掲載