ベストセラー解読(週刊朝日)

遺言。 [著]養老孟司

2017年12月19日

■「自然」と対峙する

 いきなりで恐縮だが、私なりに昨年の自分と今日の自分をくらべると、感覚としては少し老けたと感じる。視覚的にも体力的にも、そう違いを実感する。しかし、意識としては、同じ私である──こんなことを確かめてしまったのは、ヒトの「感覚」と「意識」の関わりについて書かれた養老孟司の新刊、『遺言。』を読んだからだ。
 感覚を介して観察すれば、「私」は絶えず変化しているのに、なぜか意識は同じだという。養老によれば、意識のもつ「同じだとするはたらき」がそうさせるらしい。感覚は外界の「差異」をとらえて分け、意識は分けない「同一性」を重視する。たとえば、バナナもブドウもリンゴも感覚では別々のものだが、意識は、それらを「クダモノ」と名づけて同じにする。
 こんなことができるのは、意識が、感覚を「意味」に変換する「=(イコール)」を獲得したからだと養老は説く。動物にも意識はあるが、ヒトの意識だけが「同じ」という機能を得て、言葉や金や民主主義を生みだしたのだ。かくして、ヒトは世界を意味で満たそうと努め、それを進歩と呼んで文明社会、都市社会を創りあげた。
 そして今、日本は少子化に頭を抱えている。東京などの人工的な大都市ほど子どもが生まれないのは、なぜか? 養老は終章で、人々が〈感覚入力を一定に限ってしまい、意味しか扱わず、意識の世界に住み着いている〉ために、子どもという「自然」と対峙する方法を忘れてしまったからだと指摘する。このあたりの文章を読んでタイトルを見返すと、80歳になった養老孟司の抑えた怒りと願いがはっきりと伝わってくる。

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