速水健朗の出版時評

早川書房、ノーベル賞三冠 良質な作品を長く売る

2018年01月07日

早川書房は、昨年のノーベル賞のうち文学、経済学、物理学の3賞の関連書籍を刊行した

 「『神ってる』ってよその営業には言われてますね」と語るのは、早川書房の営業担当手塚浩正さん。「神ってる」は2016年の流行語であり、少々の揶揄(やゆ)とやっかみも入っているのかもしれないが、ノーベル賞特需の早川書房なのだからそれもやむなしだ。
 ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロの文庫小説は、すべて早川書房から刊行されている。経済学賞のリチャード・セイラーの最新著作も早川書房刊。さらには翻訳ノンフィクション『重力波は歌う』で題材にされた物理学者たちの物理学賞受賞で三冠達成。
 特に話題を呼んだのは文学賞。受賞の知らせの直後から書店から注文が殺到。群馬県の倉庫から搬送し、営業部員たち自ら書店を駆け回った。
 受賞の話題でどれだけの部数を増刷すればいいのか予測は困難。だがそれを判断して決定するのが営業部の役目。
 「大江健三郎さんの受賞時が参考になるかなって、取り次ぎに相談してみたんですが、実は当時のデータって残ってないと言われました」
 大江の受賞は1994年のこと。部数決めは賭けだが、その見極めが腕の見せどころでもある。賞での話題となると時間勝負との側面も大きい。
 発表翌日の10月6日に重版を注文し、配本が11日。すぐに動いてくれる製本、印刷、製紙会社に働きかけて可能となったスピード増刷。結局、イシグロの全著作を合わせた受賞後の重版部数は、昨年12月末現在、125万部。受賞前と合わせた累計は、224万部(電子出版込み)だ。
 これは「特需」や「ラッキー」ではないと手塚はいう。
 「これまでも良質な作品を選んできた。今回の三冠はその結果だと思います」
 カズオ・イシグロの作品群も時間をかけて売ってきた。一冊の本を長く売る版元だからチャンスが重なったのだ。
 さて早川書房と言えばミステリー。アガサ・クリスティーの『オリエント急行の殺人』(ハヤカワ文庫)は映画(邦題「オリエント急行殺人事件」)も公開中。やっぱり、揶揄の意図はなく、「神ってる」のだ。

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