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理不尽な世界に必要なリアル レーモン・ラディゲ「肉体の悪魔」

桜庭一樹が読む

 ラディゲは早熟な少年だった。一六歳から一八歳までの間にこの傑作を完成させたのだ。そして一九歳で出版し、二十歳で死んだ。永遠になった。
 物語の舞台は、初めての世界大戦に揺れる一九一七年のパリだ。一五歳の「僕」は、美貌(びぼう)の人妻マルトと禁断の恋に落ちてしまう。マルトの夫は従軍していてずーっと留守なのだ。
 街のあちこちで、銃後の人々が、異様な高揚感と非日常感に浮かされる日々を送っている。そんな時代の空気に押され、子供と女は刹那(せつな)的な情事をひたすら繰りかえす。「すべてがその場かぎりのことだという気持ちが、妖しい香りのように僕の官能を刺激していた」。どこかに走りだしたいような、でももう一歩も動けないような、不安と焦燥にまみれた、かりそめの日々。それが“ダイヤモンドのように硬質”と評される、こう……“なんともいえずラディゲ~!!”な文体で記されているのだ。
 読み終わったとき、わたしはこんなことを考えた。その昔、フランス革命の勃発が文学を庶民の娯楽に変えたように、世界大戦の始まりも、文学の意味を決定的に変えたのかなぁ、と。
 世界はかつてない大混乱に襲われたのだ! 若者にしたら、良いことをしても報われず、努力をしても大きな力になぎ倒されて、理不尽に死ぬだけ! そんなひどい時代に生きるしかないとき、勧善懲悪の物語(ロマン)や、少年が周囲に助けられて大人になる成長小説なんて……いやー、読んでらんないですよねー……。それより、戦争に翻弄(ほんろう)されてなすすべもない人々のリアルや、混乱の中で成長や成熟ができずに苦しむ若者のお話のほうが、魂に必要とされただろう。
 そして、その魂の問題は、いまを生きる我々のリアリティーにも繋(つな)がっている。あれきりずっと、世界は理不尽だからだ。
 この本こそは、青春モラトリアム小説の元祖であり、ラディゲとは、二十歳で死んだわたしたちの父なのだ。(小説家)=朝日新聞2018年1月14日掲載