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エルサレムの首都問題 米大統領がタブー破った背景

エルサレムで、米国とイスラエルに抗議する人たち=2017年12月15日

 エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であり、国際政治の焦点でもある。19世紀には西洋列強が「聖地管理権」を掲げてしのぎを削り、20世紀になるとユダヤ、パレスチナ双方のナショナリズムの象徴となった。現在は米国の内政・外交のホット・イシューだ。
 エルサレムの最終的な地位は国連決議などの交渉で決めるとして、国際社会は一方的な変更を認めてこなかった。現状維持こそ、象徴が持つ爆発力を制御する最善の策だった。米国も同じ立場だった。
 しかし、トランプ米大統領は昨年12月初め、エルサレムをイスラエルの首都と認め、テルアビブにある米大使館をエルサレムに移す、と宣言した。この首都公認と大使館移転は、米大統領選挙での公約の決まり文句だったが、誰も実行してこなかった。トランプ氏はそのタブーを破ったのである。

分断から再統一

 エルサレムは、第一次中東戦争(1948~49年)で、イスラエルとヨルダンによって東西に分断された。のちに第三次中東戦争(67年)で、イスラエルが東側を占領し再統一した。イスラエルは独立以来、首都としているが、国際社会やパレスチナ側は首都と認めていない。
 エルサレムは変貌(へんぼう)を続け、今や休戦ラインがどこにあったのかを確認することも難しい。
 そんな分断の始まりから現代までをルポ風に描いたのが、ディーオン・ニッセンバウムの『引き裂かれた道路』である。本書の舞台アサエル通りは休戦ライン上にあり、かつては分断の最前線だった。特派員時代にここに住んだ著者は、通りを挟んだユダヤ、パレスチナ双方の住民の70年間を、丹念な聴き取り調査に基づいてビビッドに描いている。
 銃撃戦や国連による仲介、ユダヤ人入植者の侵入、イスラエルのスパイとなったパレスチナ人の悲哀、「テロを防ぐ」として建設された壁によって隔絶されたパレスチナ人家族など、現実は厳しい。聖地での日常生活はすべて政治性を帯びている。

対立する「記憶」

 その政治性を基調テーマにしたのが、アモス・エロンの『エルサレム』である。副題「記憶の戦場」が示すように、この地では様々な集団の記憶が蓄積され対立する。エロンは現代を描きながら、歴史との間を自由に往復し、政治と宗教が「ラオコーンの海蛇」のように絡み合い積み重なった、記憶の層を掘り起こしている。記述はかなり客観的だが、時折ユダヤ人の視点が出てくることは否めない。
 エルサレムの理解にはパレスチナ問題の知識が欠かせない。臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』は、歴史的、宗教的な背景を含め、全容をコンパクトに描いている。エルサレムについても随所で取り上げている。
 この本でも触れられているが、明治・大正期の文豪でキリスト教徒だった徳富蘆花(健次郎)は1906年、トルストイに会いに行く途次、オスマン帝国支配下のエルサレムに滞在している。帰国後に出版された『順礼紀行』が、89年に中公文庫から復刻された(現在は品切れ)。蘆花は国際政治の渦巻く現実に時に失望しながらも、近代都市へと変化するエルサレムの様子を詳細に描いていて、当時の街並みを彷彿(ほうふつ)させる。
 今回、国際的な批判にもかかわらずトランプ氏が公約実行に踏み切ったのは、彼の「岩盤支持層」といえる白人福音派(エヴァンジェリカル)の歓心を買うためだった。マーク・R・アムスタッツの『エヴァンジェリカルズ』(加藤万里子訳、太田出版・2916円)は、福音派がイスラエルを支持する信仰的な背景を含め、福音派全般の動向や米国外交との関係を知るための良書である=朝日新聞2018年1月21日掲載