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オリンピックと日韓 摩擦克服して層の厚い関係を

平昌オリンピックが開幕。開会式では、韓国と北朝鮮の選手団が合同で入場した=9日夜、林敏行撮影

 平昌(ピョンチャン)オリンピックは、1988年のソウル・オリンピックからちょうど30年である。この30年の韓国の変化はめざましい。
 ソウル・オリンピックで最も印象に残っているのは、ボクシング競技で判定負けに抗議して乱闘を繰り広げ、競技の進行を妨害した韓国選手やコーチらに対して、当初は同情を示した韓国のマスコミが、一夜にして「恥ずべき行為だ」と、その行為を糾弾する側に回ったことである。独善的な「途上国」であることをやめ、国際ルールに従う「先進国」への変身を企図したのだ。韓国は、開発独裁から先進民主主義に向かう過渡期であった。
 こうした激動する社会を、学生運動とそれを支える思想的基盤に焦点を当てて分析したのが、尹健次(ユンコォンチャ)『現代韓国の思想』である。民主化の渦中にあった80年代後半、韓国留学中だった評者も、反共国家韓国におけるマルクス主義など急進思想の大きな影響力に驚いた。韓国は確かに「革命の時代」と言っても過言ではない。しかし実現したのは暴力革命ではなく、民主主義への平和的な移行であった。

3度の政権交代

 では、こうした急進思想は歴史に消え去る徒花(あだばな)でしかなかったのか。そうではない。急進思想は米韓両政府の対応に変化を促すことで、妥協を通した民主化を成し遂げたのである。87年末の大統領選挙では与野党政権交代は達成されなかったが、その後、現在まで3度の与野党政権交代を経験している。政権交代を伴う民主主義という点では、日本よりも先行している。
 最初の与野党政権交代となった97年の大統領選挙は、IMF経済危機に直面した直後に行われ、金大中(キムデジュン)が4度目の挑戦で念願の当選を果たした。これ以後、2期(10年)を周期に、進歩と保守が政権交代を繰り返している。少子高齢化や経済格差など先進国に共通する課題を抱え、進歩(金大中、盧武鉉〈ノムヒョン〉)政権と保守(李明博〈イミョンバク〉、朴槿恵〈パククネ〉)政権による政策選択とその実績を分析したのが、大西裕『先進国・韓国の憂鬱(ゆううつ)』である。保守=新自由主義、進歩=社会民主主義という通説的理解とは異なる解釈が提示されている。

 ■協力と相互不信
 韓国の民主化、先進国化と共に、日韓関係にも変化が見られた。冷戦下、韓国が北朝鮮に体制競争で勝つために「非対称な日韓が補完的に協力する関係」から、韓国の優位が確立されて日韓協力に対する動機付けが弱くなるなか、「対称的な日韓が相手よりも優位を求めて競争する関係」への変化である。98年の金大中・小渕恵三による「日韓パートナーシップ宣言」で、新たな協力段階に入ったと見られた両国関係だったが、その後は歴史問題などに起因する緊張関係が持続する。
 一方で、日韓は協力によって相互に利益を最大化できる。北朝鮮の核ミサイル危機に適切に対応するため協力は不可欠である。しかし他方で、両国間には植民地支配という歴史的経験に起因する相互不信が横たわる。不信に基づく競争関係の下では、自分の方が多く譲歩するという選択は、より一層難しい。
 韓国を代表する知日派外交官であった趙世暎(チョセヨン)による『日韓外交史』は、外交官としての自らの経験を踏まえて、65年の国交正常化以後、50年間の両国関係を分析している。「韓国は反日である」というステレオタイプでは割り切れない良質な提言が、数多く行われている。
 日韓の共通項をいかに豊かにし、対立が顕在化しないように管理していくか。そうした努力が、摩擦を克服するための鍵となる。平昌オリンピックを機会とする安倍首相の訪韓と日韓首脳会談が、こうした層の厚い関係の構築に寄与するのか、注目したい=朝日新聞2018年2月11日掲載