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理性の可能性と限界 クルト・ゲーデル「不完全性定理」

大澤真幸が読む

 ゲーデルが1930年に証明した不完全性定理は、数学史上最も重要な命題だ。それどころかギリシャ哲学以来の全思想史の中で、最も偉大な発見かもしれない。それは理性の可能性と限界を見定めた定理だからだ。
 不完全性定理は、二つの定理からなる。第一に、「(自然数論を含む)数学のシステムは不完全である」。普通、正しい(真なる)数学的命題は証明可能で、誤った命題は反証可能だと考えられている。証明か反証のどちらかができる命題のことを決定可能な命題と呼ぶ。すべての命題が決定可能なとき、そのシステムは完全だとされる。
 第一の定理は、数学には証明も反証もできない決定不能な――しかし真である――命題が必ず存在する、と言っている。決定不能命題をイメージしたければ、「私は嘘(うそ)つきだ」という発言を思うとよい。この発言は嘘とも本当とも決められない。
 第二に、「数学のシステムは、自己の無矛盾性を証明できない」。無矛盾とは、証明可能であると同時に反証も可能であるような命題を含んでいないということだ。辻褄(つじつま)の合わない命題がないということが、「正しさ」の最小限の条件である。しかし、数学は自分の正しさを証明することができない。
 数学は真理の土台だ。にもかかわらず、不完全性定理によると、数学の中に、証明できない真理、真理であると確証できない真理が含まれている。ゆえに、ゲーデルの定理は「理性の限界」を示すというのが一般的な解釈だ。しかしゲーデル本人は、自身の限界さえ自覚しうる人間の精神は機械には模倣できない偉大さをもつ、と考えた。
 晩年、ゲーデルは神の存在の証明に取り組み、成功したと確信していた。しかし不完全性定理の含意をすなおに受け取れば、こう言うべきだ。神は、仮に存在しているとしても、自分の知に当惑し、混乱しているだろう、と。神はすべての真理を知っているはずだが、そうだとすると神の知は矛盾を含まざるをえないからだ。(社会学者)=朝日新聞2018年5月19日掲載