文理悠々

文理悠々

文理悠々

「小説が好きだから科学記者になった」。そんな朝日新聞OB、尾関章による書評コラム。文系、理系の壁を越えて本の世界の魅力を伝えます。

キーンさんが読む戦中戦後文人日記

キーンさんが読む戦中戦後文人日記

 3・11を境に、原子力に対する意見を改めた人は多い。それは世論調査をみても、わかることだ。福島第一原発の現実を目の当たりにすれば、そのことを揶揄しようとは思わない。僕自身、自らの胸に手をあててみると、「減らしていって、………[もっと読む]

[文]尾関章 [掲載]2012年03月02日

百回記念だ、瀬名書評本と語ろう

百回記念だ、瀬名書評本と語ろう

 いよいよナビ百回目、ざっくり百冊を語ってきたことになる。「ざっくり」と断るのは、1回に複数冊を紹介したこともあれば、1冊を複数回に分けたこともあるからだ。こんなところで厳密さを追求してもしようがないから、今回を一つの区………[もっと読む]

[文]尾関章 [掲載]2012年02月24日

ミシマ、平凡パンチ&1960年代

ミシマ、平凡パンチ&1960年代

 三島由紀夫というと、引いてしまう。なぜだろうか。忘れもしない1970年11月25日の白昼、学生だった僕の耳に飛び込んできたあの事件のことがあるからだろうか。いや、煎じ詰めればそれにもかかわるのだが、政治思想がどうのこう………[もっと読む]

[文]尾関章 [掲載]2012年02月17日

芥川賞、理系作家の「現実」製造器

芥川賞、理系作家の「現実」製造器

 「松ノ枝の記」とはなんと古風な。だが、これは、超今風な小説と言って、間違いない。なにかと世間をにぎわした今回の芥川賞で、東大博士課程で物理学を学んだことが話題を呼んだ理系作家、円城塔の作品だ。  『道化師の蝶』(円城塔………[もっと読む]

[文]尾関章 [掲載]2012年02月10日

サリンジャー、繊細と快活と

サリンジャー、繊細と快活と

 『ライ麦畑でつかまえて』でアメリカ文学が好きになった、という人は多いのではないか。少なくとも、僕はそうだった。少年の感性の素直な披瀝を、それまでの文学とは異なる新鮮な文体で綴った。そこに、同じ「少年」として感応したので………[もっと読む]

[文]尾関章 [掲載]2012年02月03日

文理交錯の年にカルヴィーノ

文理交錯の年にカルヴィーノ

 芥川賞受賞者の一人に、物理学を大学院の博士課程まで進んで修めた円城塔さんが選ばれた。一方、その物理学界では、哲学心をくすぐる野心的な論文が出た。ハイゼンベルクの不確定性原理を見直した名古屋大学の小澤正直さんとウィーン工………[もっと読む]

[文]尾関章 [掲載]2012年01月27日

ピート・ハミルのブルックリン愛

ピート・ハミルのブルックリン愛

 先週は東京の今昔だった。今週はNYの話をしよう。ニューヨークと言っても、世界の中心街マンハッタンではない。そこから南東方向に橋ひとつ渡ると、大都会に組み込まれたもう一つの都会が現れる。この一帯に根づいた人々のことを語り………[もっと読む]

[文]尾関章 [掲載]2012年01月20日

鬼平・池波正太郎の過去現在未来

鬼平・池波正太郎の過去現在未来

 1月は、空白のような月だ。年末の気ぜわしさから解放され、新しい年のエンジンもすぐにフル回転とはいかない。受験生を最大の例外として、ちょっと小休止、長めのレンジでものを思う1カ月といえよう。  ということで、今回の1冊は………[もっと読む]

[掲載]2012年01月13日

正月は漱石が読みたくなる

正月は漱石が読みたくなる

 暖かな日差しの朝だったが、昼すぎに大きな揺れに見舞われた。東京の2012年元旦である。おだやかに気持ちの区切りをつけようとする人間の時間と、去年と今年を分かつなんの目印もない自然の時間の交錯が、そこにはあった。  区切………[もっと読む]

[文]尾関章 [掲載]2012年01月06日

柄谷行人流の脱原発はPTAのA

柄谷行人流の脱原発はPTAのA

 2011年は、脱原発ということを日本の世論が初めて本気で考えはじめた年ではないだろうか。その年の終わりは、3・11後、この言葉を強く発信した人の本で締めくくりたい。脱原発デモの常連となった思想家柄谷行人さんだ。  年末………[もっと読む]

[文]尾関章 [掲載]2011年12月30日

ヒッグスが耐えられない軽さ

ヒッグスが耐えられない軽さ

 万物の質量の起源と言われても、なんのこっちゃ、という反応が圧倒的だっただろう。質量とは、ふつうは重さのことである。体重なら、起源などなくともどんどんふえていく。右肩上がりの幻想が消えても飽食の時代を脱せないメタボな日本………[もっと読む]

[文]尾関章 [掲載]2011年12月23日

熊楠が僕らの時代にやってくる

熊楠が僕らの時代にやってくる

 知の巨人を象徴するようなクスの木だ。和歌山県田辺市で、文理両道の博物学者南方熊楠がかつて過ごした旧居邸内に入ると、書斎の前庭に堂々とした巨木が立っている。近くには、新属新種の粘菌ミナカテラ・ロンギフィラの発見場所とされ………[もっと読む]

[文]尾関章 [掲載]2011年12月16日

「ガイジン」がアメリカ人だった頃

「ガイジン」がアメリカ人だった頃

 赤坂、六本木といえば、今では国際都市東京の表の顔だ。空を切り裂くビル群が3次元に延びる立体の街を生みだし、足もとの樹木が季節感を演出する。だが、時間の殻を一皮ずつはがしていくと、この街を舞台にいろいろなことがあった。一………[もっと読む]

[文]尾関章 [掲載]2011年12月09日

アナザの時代を予見したブルーノ

アナザの時代を予見したブルーノ

  「もう一つの」が、旬な言葉になる。これは科学記者としての僕の予感だ。もう一つの宇宙、もう一つの太陽系、もう一つの生命圏。それらが、僕たちの世界像をぐっと広げてくれる。科学の先行きを読むと、そんな展開が遠目に見える。 ………[もっと読む]

[文]尾関章 [掲載]2011年12月02日

乃南アサ短編に学ぶ「飲み」の作法

乃南アサ短編に学ぶ「飲み」の作法

 手帳に「忘」の字が並ぶ季節になった。おしゃれなレストランのワインであれ、小料理屋の2階のビールや焼酎であれ、アルコール攻めに遭うこれからの1カ月である。  断っておくが、僕は決して大酒飲みではない。若いころは飲酒の機会………[もっと読む]

[文]尾関章 [掲載]2011年11月25日

ここに掲載されている記事や書評などの情報は、原則的に初出時のものです。

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