書評・最新書評

死んでも何も残さない―中原昌也自伝 [著]中原昌也

[評者]斎藤環(精神科医)

[掲載]2011年05月15日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■純粋な無意味さを作り出す天才

 本人が嫌がることを承知で言えば、私は十年来の中原昌也のファンだ。彼は純粋な無意味さを小説において実践し続けた作家として、日本では稀有(けう)な存在である。その小説を読んでつい笑ってしまうのは、真の無意味さが持つ反—享楽的な体験の恐怖を、笑ってごまかすしかないためだ。
 病理によらずに無意味を作り出す中原の天才は、ノイズユニット「暴力温泉芸者」においても存分に発揮された。しかし主要な文学賞を三つも受賞しながら、その才能は経済的成功につながらない。なぜか。この国の人々は「物語」にしかカネを払おうとしないからだ。
 語り下ろしによる本書は、その特異な才能がいかにして育まれたかを知る上で、またとない好著である。青山育ちの中原は「貧乏な都会っ子」だった。オカルト映画好きの子どもだった彼の基本は「モンティ・パイソン」だという。意味のない暴力と笑いへの情熱。
 iPodを「音楽をBGM以上のものにさせない機械」とする中原は、地デジもネットも信用しない。それは80年代にはまだあった選択の自由や、無意味さという多様性を抑圧する装置だ。アナログなものの物質性には、「人間の力によって生まれるわけのわからない混沌(こんとん)」があったのだ。
 そう、彼が愛するのは単なる無意味ではない。「活字というものが持つ無情な感じ」であり、「激情に走っただけの愚行」だ。この視点から映画「オーメン」の首が飛ぶシーンに映画の本質を垣間見るあたりの記述には、批評を超えた説得力がある。
 「書きたくて書いているんじゃないことしか書きたくない」という彼の文章が「世界のバカバカしさ」を反映しているがゆえに無意味であるということ。本書のタイトルが、“3・11後の世界”にあっては、あたかも一つの宣言に読めてしまうのは決して偶然ではない。
 評・斎藤環(精神科医)
     *
 新潮社・1470円/なかはら・まさや 70年生まれ。作家。ミュージシャン。『名もなき孤児たちの墓』など。

関連記事

ページトップへ戻る