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未完のレーニン 〈力〉の思想を読む 白井聡著

[評者]野口武彦(文芸評論家)

[掲載]2007年07月01日

[ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝

表紙画像

 「純粋資本主義」の時代に存在問い直す

 今日、レーニンの名前は、ソ連崩壊に伴って引き倒された偶像としてか、偶像破壊の喜びの種子としてしか人々に知られていない。その情況で「レーニンとは誰か」を考えるのは反時代的だろうか。
 そう若々しく問いかけるのが、この意欲的な一冊の出発点である。解読されるテキストは、『何をなすべきか?』(一九〇二)と『国家と革命』(一九一八)。通説では、前者は職業革命家によって構成される前衛党の樹立を「傲慢(ごうまん)に」主張した論文であり、後者は、プロレタリアート独裁とそれに続く国家の死滅を展望した「理想主義的な」著作。一見相反するかのようなレーニンの思考様式を「革命の現実性」という《力》の躍動として一元的に読解する視角が貫かれている。
 書評子のような旧世代がまず感歎(かんたん)するのは、見事なまでのシガラミのなさである。本書で探求されるテーマは、かつて左翼派学習会の聖典とされたレーニンの権威とも、酷薄な権力主義の化身と非難されたレーニン像とも完全に切れた、まっさらな革命思想家の復顔術といえようか。
 旧世代には「眼(め)からウロコ」というより「眼が点」の思いがなくもないが、レーニンを理解するためにフロイトを招喚する方法が大胆な構図を取って差し出される。等しく「抑圧されたもの」の対象化として、レーニンにおける「プロレタリアート」は、フロイトにおける「無意識」に対応する。たとえば、レーニンがロシア近代知識人を民衆崇拝のトーテミズムから切り離して実現したのは「マルクス主義の一神教化」だったという具合である。
 レーニンのロシア革命は、一九九一年のソ連崩壊で劇的に終焉(しゅうえん)した。世界資本主義は対抗原理を消失させた結果、日本の総中流社会壊滅が示すごとく、「純粋資本主義を世界中で全面的に導入する」事態を迎えている。レーニンは逆説的に「アクチュアルな存在」になったと見るのが著者の執筆モチーフだ。
 振り出しに戻ってレーニンを読む時代が訪れたらしい。新世代の開花度を占う標準木の感がある初仕事だ。
 評・野口武彦(文芸評論家)
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 講談社選書メチエ・1575円/しらい・さとし 77年、東京都生まれ。日本学術振興会特別研究員。

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