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日本語が亡(ほろ)びるとき-英語の世紀の中で [著]水村美苗

[評者]鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

[掲載]2008年11月16日

[ジャンル]文芸 人文

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■〈読まれる言葉の連鎖〉への参加

 本書の題名と、「優れた英語話者の教育が日本の急務」といった提言だけで、様々な議論が巻き起こりそうだ。だが、これは「国民総バイリンガル化」を奨(すす)める書では全くないし、いわんや「英語至上主義」とは最終的に方向性を百八十度異にする。著者が守り、鍛えあげていこうとするのは、無限の可能性を秘めた日本語ひいては日本の文学だ。その背後には、世界に6千はある各言語のかけがえのなさへの重い認識がある。
 著者は言語を〈現地語〉〈国語〉〈普遍語(ラテン語、漢語など聖典の言葉)〉の3層に分けて考える。今、各〈普遍語〉をも覆うように広がっている新しい普遍語が英語だ。米国の政治・経済的勝利に加え、インターネットが英語の地位を決定づけたと著者は考える。
 本書はまず、各〈国語〉が〈普遍語〉の翻訳を通じて作られ、各国文学が相互に翻訳を行い、発展を遂げた過程を丁寧に解説する。さて、これを「翻訳の対話」と捉(とら)えてみた時、日本は近代文学を持つ国でありながら、この対話に加わっていなかったのに気づかされた。翻訳「する」文化だけが後にずば抜けて発達した希有(けう)な「主要文学の国」なのだ。高感度の受容力は、他言語他文化の「紹介者」として力を発揮したが、大いなる文化の輪、〈読まれる言葉の連鎖〉への能動的な「参加者」であったろうか。
 世界の対話の輪に入るため、英語話者の育成をと著者が言う時、それは〈現地語〉レベルの「耳で学ぶ会話力」を指すのではない。徹底すべきは〈普遍語〉レベルでの「読み」の能力であり、その基礎に不可欠なのが日本語力だ。
 著者が強調するのは、小説がいかに〈母語〉と結びついて陰翳(いんえい)と成熟を深めてきたかである。それ故に、小説は言語独自の洗練を増すほど、他言語への翻訳可能度を低める状況に陥った。つまり翻訳困難なものほど、翻訳すべきだということではないか?
 英語の国・米国は今や、言葉を翻訳「される」ばかりで翻訳書をあまり出さない。この対話の不均衡が英語の地位を揺るがす日が来ないとは、誰にも言えないのではないか?
 評・鴻巣友季子(翻訳家)
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 筑摩書房・1890円/みずむら・みなえ 作家。著書に『続明暗』『本格小説』などがある。

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