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大聖堂―果てしなき世界 上・中・下 [著]ケン・フォレット

[評者]瀬名秀明(作家)

[掲載]2009年05月10日

[ジャンル]文芸

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■長大な歴史ロマン 広がる人間の想い

 「言葉っていくつあると思う?」と若き女性が幼なじみに尋ねる。五つ、六つ? 自分たちが聞いたこともない言葉もあるはずだ。ふたりは果てしなく広がる世界を想像してわくわくする。この場面を読んで、もう本を置けなくなった。あの『大聖堂』から十八年、ついに刊行された続編は期待を裏切らなかった。
 今回の舞台は前作から百五十年後の十四世紀半ば。かつてキングズブリッジの地に大聖堂を建てたいと心を燃やした職人トムたちの子孫がさらなるドラマを繰り広げる。前作では善も悪もすべての運命は収まるべきところに収まり、原題「大地に立つ柱」の通り人々の欲望と希望は大聖堂という人工の伽藍(がらん)へと回帰していった。だが今回フォレットが挑んだテーマは大聖堂から限りなく外へと広がってゆく人間の想(おも)いなのだ。
 地域間交易が盛んになり、魔女狩りが忍び寄り、黒死病が大流行する。かつて宗教的良心の砦(とりで)として建設された大聖堂も、いまは内部から組織の腐敗が進行している。職人マーティンはどこよりも高い尖塔(せんとう)を建てたいという野心を持ちながら、まずは交易の要である橋の建設に取り組む。彼が愛する女性カリスは先進的な人物だ。彼女は結婚を第一とは考えず自らの理念に向かって進む。今回、大聖堂の精神を立て直そうと努力するのは女性たちなのだ。特にカリスが科学の視点で人々を救おうとする態度には胸が熱くなる。
 誕生と別れ、陰謀と駆け引きが今回も次々とやってくる。前作の展開を知る読者なら、今回の出産はどうなるのかなどとはらはらして物語の行方を見守ることになる。前作では敵味方がはっきりしていた。しかし今回、理想を阻んでくるのは血縁者だ。そのやるせなさは現実的で、年輪を重ねた著者の渋みが光る。歴史上の大事件が深く絡んでくるのも見所(みどころ)のひとつで、前作のカンタベリー大司教トマス・ベケット暗殺に相当する今回の謎は、エドワード二世の末期に関(かか)わる謀略である。
 しかしフォレットといえば冒険小説の書き手だ、歴史物は例外作では? と疑う向きもあろう。だが彼はもともと大聖堂の物語に取り組みながら当時は果たせず、より単純なストーリーの『針の眼(め)』でデビューし成功を収めた経緯がある。思い出されよ、その本では主役のスパイと宿敵の大学教授がカンタベリー大聖堂で相まみえ、尖塔の建築意義について語り合う場面があることを! 『針の眼』執筆中でさえフォレットは大聖堂に心奪われていたに違いない。フォレットはディケンズの遺産を継ぐロマンの語り部なのだ。
 あまりの長さに尻込みする読者もいるだろう。巻末で児玉清が解説するように(愛情溢<あふ>れるいい解説だ)、物語のうねりに翻弄(ほんろう)され、読み終わったときにはへとへとになる。だからすぐ読めとはいわない。しかし充実の読後感はおそらくあなたの心に一生残る。死ぬ間際に「ああ、私は面白い本を読んだ」と回想できるなら、それは至福の人生なのである。
 評・瀬名秀明(作家)
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 戸田裕之訳、ソフトバンク文庫・各998円/Ken Follett 49年生まれ。英国の作家。『針の眼』でアメリカ探偵作家クラブ賞受賞。89年発表の『大聖堂』が全世界で1500万部を超えるベストセラーに。ほかに『レベッカへの鍵』など。

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