書評・最新書評

こんなときどうする?―臨床のなかの問い [著]徳永進

[評者]斎藤環(精神科医)

[掲載]2010年10月17日

[ジャンル]医学・福祉 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■正解はない、困惑も率直に吐露
 
 著者は長年終末期医療の現場に関(かか)わり、現在は「野の花診療所」で末期がん患者のホスピスケアにあたる内科医である。
 「困った事例の対応マニュアル?」というタイトルからの連想はこころよく裏切られるだろう。これは著者自身の困惑を率直に吐露した呟(つぶや)き集であり、真摯(しんし)な学習ノートだ。アイデアの断片はちりばめられているが、単なる正答集ではない。がんの告知をすべきか否かにすら「正解」はないのだから。
 「死」は人間のある側面を裸にする。キューブラー・ロスの死の受容の五段階説ですら、常に正しいわけではない。そんな中で著者が一貫して関心を寄せ続けるのは、人の心だ。死を目前にして、なぜ人の心は破綻(はたん)してしまわないのか。なにが心を支えるのか。
 「支え」として著者が挙げるのは、家族、「がんばる」気持ち、手を当てる方法、「職場」、わがまま、知的障害、宗教、先に逝った息子、日常の動作、好きな食べ物、戦争体験、などなど。ここには意外な発見がいくつもある。
 指摘される通り、精神科医は死の問題に十分関わってこなかった。ただ、昏迷(こんめい)の果ての死の直前、「今までありがとう」と言い残した統合失調症の患者さんを私も経験した。「死の受容」そのものに人を正気づけ、成長させる力があるのかもしれない。
 臨床には哲学が必要だ、と著者は考える。しかし著者から私が学んだものは、むしろ「臨床のエートス」に近い気がする。人の生死に関わる経験の積み重ねがもたらす心的態度。多くの死にふれながらもニヒリズムに陥らず、生の尊厳をみとめながらもそれを絶対視しないという中庸の倫理観。
 人の生と死から学び続けるための「面白がる」という姿勢もまた、本書の通奏低音だ。著者が生命倫理を考えるために挙げる「たっとぶ」「いつくしむ」「さする」「はぐくむ」「つつしむ」「とまどう」「あやまる」などの十三の和語。そこにはどこか「人間の業の肯定」(立川談志)に通ずる味わいがある。
 評・斎藤環(精神科医)
   *
 岩波書店・1995円/とくなが・すすむ 48年生まれ。医師。『死の中の笑み』で講談社ノンフィクション賞。

関連記事

ページトップへ戻る