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「右手と頭脳」書評 手首切断された兵士の自画像とは

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2010年09月26日
右手と頭脳 エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー《兵士としての自画像》 著者:ペーター・シュプリンガー 出版社:三元社 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784883032709
発売⽇:
サイズ: 22cm/184,45p

右手と頭脳 [著]ペーター・シュプリンガー

 この書物の主題はドイツ表現主義の中心的存在であるキルヒナーの「兵士としての自画像」だが、この作品にギョッとするのは、兵士に扮したキルヒナーの手首から先が切断され緑色に変色した右手を軍服の袖から、まるで男根を突っ立てるように見せているからだ。これ見よがしな彼のマゾヒスティックな態度に鑑賞者は、なんともおぞましいヤーな苦痛を抱かされてしまうのである。それがたとえ何らかの芸術的手段だとしても——だ。それにしてもなぜ彼がこんな絵を描いたのか本人は口にチャックをしたままである。
 キルヒナーは軍隊の威信に憧(あこが)れ、自ら志願して軍隊に入ったものの、軍隊生活には全く適応しない人間で、彼自身兵士としての不適性を認め、自ら「生き地獄にすることに加担している」と訳の分からぬことを語っている。その屈辱的な彼の嘆きがあのような作品を描くに至ったのではないかと、これも想像の域を出ないのだが、何しろご本人はノーコメントを通すだけで真意は絵の中にある。
 画家が自らの手を喪失することは命を絶つも同然である。キルヒナーは耳を切断したゴッホに「感情移入」したと同時に「ゴッホはキルヒナーの『受難者仲間』」であるとは著者の見解であるが、ゴッホの自殺と無関係だがキルヒナーも彼と同じ運命をたどる。
 余談ではあるが同じ手の切断でも手首の喪失した身体的欠落感と切り離された手首とはかなり意味が異なる。多くの芸術家が切断された手首の複製石膏(せっこう)を採ったり(僕も)、描いたりしているが、これらに対しては心理的苦痛は伴わない。なぜならオブジェと化しているからだ。
 さて、兵士の切断された手首のモチーフは必然的に戦争のプロパガンダとしての意味を持つ。実際にキルヒナーはプロパガンダを主張した作品も他に描いているが、彼の軍隊経験と戦争に対する考え方の矛盾は不可解である。画家としての精神の危機的状況がこの絵を描かしたとしても、戦争というあまりにも歴史的な現実との相克は何も解明されないままである。
 評・横尾忠則(美術家)
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 前川久美子訳、三元社・2940円/Peter Springer 44年生まれ。ドイツの美術史家。