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俵屋宗達ー琳派の祖の真実 [著]古田亮 

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2010年06月06日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■「ダンス」「ジャズ」のマチスと比較

 「宗達は琳派ではない!」と本書の帯が言い放った。この一言が本書を手にした動機だった。僕が商業(グラフィック)デザイナーであった20代、宗達は琳派の一派とされながら、同派の光琳の威光の陰に押しやられていることに、宗達に私淑していた僕としてはやり切れない心情を抱いたものだった。
 宗達の名作「風神雷神」「白象図」「唐獅子図」のあの魔術的、蠱惑(こわく)的、破壊的なデフォルマシオンの美的ショックと、他人の作品を平気で剽窃(ひょうせつ)する無礼なスピリットがピカソとダブり、僕の中でモダニズムと相克していくのだった。
 さて本書の趣旨は宗達を20世紀の画家と同列に美術史に位置づけることで同時代的発展が試みられないかという大胆な仮説を展開していく。その過程が実に欣快(きんかい)小気味よい。中でも宗達の絵の「動き」に着意した著者は、絵のトリミングがまるで時間軸にそって事物を切り取るという現代的造形、例えば映画のクローズアップ効果のようだと言い、今日的な表現の新しさと美を発見する。
 一時デザイナーの間でなんでもかんでも写真や図像が不必要なまでにトリミングされるのが妄想的に流行したことがあった。画面内で完結する従来の美意識に対し異議申し立てを主張する行為だったが、そんな現象を振り返ればその時点で宗達はすでに今日の造形感覚を先取りしていたことになるが、本書は琳派を多義的に解体しながら最後は宗達とマチスの親和性に論を進めていく。
 僕はピカソと対比させてみたが著者古田亮氏は宗達VS.マチスを近代絵画の文脈の火中に投じることで、美術的視野の境域をどんどん撤収してゆき、マチスの「ダンス」や「ジャズ」を宗達の「舞楽図屏風(びょうぶ)」に重ねながら宗達とマチスの類縁を立証していく鮮やかさに、洗脳の快感さえ禁じ得なかった。
 僕が宗達からフラメンコが聴こえると言っても、どうやら宗達とマチスのコラボによるジャズのビートにはフラメンコの哀調のメロディーも掻(か)き消されそうになるのだった。
 評・横尾忠則(美術家)
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 平凡社新書・819円/ふるた・りょう 64年生まれ。東京国立近代美術館主任研究官を経て東京芸大准教授。

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