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こちらあみ子 [著]今村夏子 

[評者]穂村弘(歌人)

[掲載]2011年03月20日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■“ありえない”の塊のような女の子

 主人公のあみ子には前歯が3本無い。ありえない、と思う。だって、21世紀の日本女性は脱毛処理が不完全なだけでNGなんでしょう。あみ子は10年近く片思いをしている相手の苗字(みょうじ)を知らなかった。ありえない。私は一度も会ったことのない芸能人の飼い犬の名前を知っている。
 あみ子は「ありえない」の塊だ。金魚の墓の隣に弟の墓を作ってしまう突き抜け感に「長くつ下のピッピ」を連想する。でも、あれは童話でピッピには世界一の怪力という武器があった。あみ子には何もない。生身のただの女の子だ。皆と同じように生きられない魂が、皆と同じ生身で生きようとする時、世界は地獄に変わるんじゃないか。
 案の定、あみ子はまともに生きていけない。仲間はずれ、いじめ、家族からの隔離。でも、本人にはその状況さえよくわかっていないらしい。
 だが、読み進むにつれて奇妙なことが起こる。そんなあみ子に憧れ始めている自分に気づくのだ。馬鹿な。ありえない。
 現代社会で「ありえる」ために、私は様々なものに意識を合わせようとする。場の空気とか効率とか「イケてる」とか。その作業は大変だけど、そうしないと生きていけないと思うから、できるだけズレないようにがんばり続ける。
 記念日を忘れないようにして、シャツの裾をちゃんと出して、飲み会の席順の心配をして……、ふと不安になる。この作業で一生が終わってしまうんじゃないか。何か、おかしい。大事なことが思い出せそうで思い出せない。ただ、「ありえない」の塊のようなあみ子をみていると勇気が湧いてくる。逸脱せよ、という幻の声がきこえる。
 でも、こわい。あみ子はこわくないのだろうか。だって世界から一人だけ島流しなのに。
 物語がさらに進んで、あみ子がぼろぼろになればなるほど、何かが生き生きとしてくるのを感じる。「こちらあみ子」という呼び掛けに応えて、年齢や性別を超越した異形の友人たちの姿が見え隠れする。前歯のないあみ子を中心に、新しい世界が生まれようとしている。
 評・穂村弘(歌人)
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 筑摩書房・1470円/いまむら・なつこ 「あたらしい娘」(「こちらあみ子」に改題)で第26回太宰治賞受賞。

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