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津波と原発 [著]佐野眞一

[評者]後藤正治(ノンフィクション作家)

[掲載]2011年07月03日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

 ■胸に食い込む被害者たちの肉声

 ニュース一段落して関連本並ぶ——大事件後の常であるが、東日本大震災もまたそのような時期を迎えている。腕力ある書き手・佐野眞一の著ということで手に取った。駆け足ながら現地を歩き、論考を展開しているが、まず胸に食い込んでくるのは被害者たちの肉声である。
 福島第一原発にほど近い区域では家畜類の殺処分が伝えられたが、多くの牛たちは依然生きている。
 「元気な牛を殺す資格は誰にもねえ。平気で命を見捨てる。それは同じ生き物として恥ずかしくねえか」
 「ここへ来て、悲しそうな牛の目を見てみろ。言いたいのはそれだけだ」
 東電にいま一番言いたいことは何かという問いに対する、酪農家たちの臓腑(ぞうふ)をえぐる言葉である。
 後半部では「福島のチベット」とも呼ばれた「浜通り」が「原発銀座」へと変容していく構造的な流れを追っている。古くは入植農民の歴史があり、戦時中は陸軍の飛行練習場に使われ、塩田となり、やがて原発用地となる。用地調査に出向いた東電職員のもとに、町長は四斗樽(よんとだる)を持参し、「本当に東電は発電所を造ってくれるのですか」と頼み込んだとある。貧困からの脱却を込めた懇願だった。
 とりあえず雇用は確保され、道路が整備され、立派な公民館もできた。けれども、失われたものと比較していえば、見返りは哀(かな)しいほどにつつましいものだった。
 この国はかつて、焼け野が原から経済大国へと変貌(へんぼう)した。いま再びの声があるが、著者は、消費意欲の乏しい「高齢大国」に再びの道は可能なのかと問いかけている。加えていえば、どこかに“第二のフクシマ”をつくって復興をはかる方法はもはや無効である。私たちは新たな価値観に立脚した、遠い道を歩むしかない。書き手たちにとっても息の長い仕事が待ち構えている。
 評・後藤正治(ノンフィクション作家)
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 講談社・1575円/さの・しんいち 47年生まれ。『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀』『東電OL殺人事件』。



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