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白い罪―公民権運動はなぜ敗北したか [著]シェルビー・スティール

[評者]上丸洋一(本社編集委員)

[掲載]2011年07月03日

[ジャンル]政治 社会

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■黒人・白人、対抗関係どう越える

 差別の問題を語って刺激的な本だ。あるいは、反発する向きもあるかもしれない。著者は、『黒い憂鬱(ゆううつ)』(邦訳は五月書房刊)などの著書がある黒人の論客。本書の問題提起は、日本の差別問題を考えるうえでも重要な意味をもつだろう。
 1965年、ジョンソン米大統領は、こう演説した。
 「長いあいだ鎖で縛りつけていた者(黒人)を解放し、競争のスタートラインに並ばせ、『さあ、自由にほかの人びとと競争したまえ』などと言うことはできません」
 平等な社会を築くためには「機会の平等」ではなく、「結果の平等」が必要だと大統領が宣言したのだ。
 公民権の獲得をめざして、長年、非暴力の闘いを繰り広げてきた黒人にとって、それは大きな達成だった。
 かつては、黒人を差別することが白人の素養とされた。ところが、差別の非を認めて以降、白人は道徳的な負い目(白人であることの罪悪感=白い罪)から逃れられなくなる。
 黒人が経験してきたことに鑑みると、自助努力の責任を負わせることは道徳的に間違いだ、と白人は考え、黒人の個人的責任を問うことは人種差別と同じだとみなした。
 一方、黒人は、白人の負い目を、そのまま自らのパワーとし、黒人に特権を認めよ、と要求しだした。
 「われわれはふたたび奴隷になった。われわれの運命は他人の責任となってしまった」と著者は嘆く。
 では、どうすればいいのか。その点を著者はほとんど語らない。黒人対白人という対抗関係自体をどう越えるか。問いは、読者の前にそのまま投げ出されている。
 副題にやや違和感がある。「公民権運動の大闘争に勝利した」あと、米国社会が抱え込んだ新たな難題に著者は着目した。それを公民権運動の「敗北」ととらえるのは、果たして適切だろうか。
     ◇
藤永康政訳、径書房・2625円/Shelby Steele 46年生まれ。米スタンフォード大学フーバー研究所研究員。



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