■痛烈な批判含む建築史への深い洞察
世界を舞台に活躍する建築家で、作品のみかその言説でも大きな影響力をもち続ける磯崎新の最新の評論集だ。対話の形式や逝った人々への追悼の文章を通し、過去を振り返りながら平明に論じていて、著者の思いがよく伝わる。真の批評精神が成立しにくい日本の社会風土への痛烈な批判が根底に強く感じられる。
まず建築界の証言として貴重なのが、偉大な師、丹下健三を弟子たる著者がどう評価するかを語る章だ。建築を単に街や建物の設計にとどめず、人々の生きる場たる社会、都市、国家までを構想し、眼(め)に見える形にすることだと教えた師は、偉大だった。だが日本が変わり、国家が丹下を必要としなくなってからは輝きを完全に失ったという。丹下の下で独自の設計手法を叩(たた)き込まれた著者が、師から自立し自分流の建築表現を切り開くのに苦闘した個人史を語る内容は興味深い。
建築家、磯崎新の独自性は歴史や時間への深い洞察にある。高度成長期の1960年代、メタボリズムという日本の建築運動が世界に注目されたが、著者はこのグループには入らなかった。明るい未来像に違和感をもち、廃虚やパラドックスに惹(ひ)かれていたのだ。
建築の歴史を批評の精神で問い直す彼の論考は、近代デザイン批判、建築家P・ジョンソンの死の意味、パッサージュ論を始め、どれもなるほどと唸(うな)らせる。また、批評と建築史研究の優れた業績を持ちながらアカデミズムに受け入れられず、「巨大建築」論争がもとで建築界から追われ、隠者の道を選んだ建築史家、神代雄一郎の仕事を蘇(よみがえ)らそうと再び光を当てる著者の思いは、共感を呼ぶ。
著者は超大御所の建築家でありながら、時代の先端現象に関心を向け、刺激的に発言し続ける。一方で、その発想は遠い過去と現在の往還を意識し、根源に常にこだわる。日本なら伊勢神宮、西欧ならフィレンツェのルネサンスの建築家達(たち)が創造した透視図法的な空間の捉(とら)え方だ。著者にとってその垣やバリアを越えるための思案は今なお続くのだという。発行者が付けたという書名は、持続的に思考するこの建築家の姿勢に相応(ふさわ)しい。
[評者]陣内秀信(法政大学教授=建築史)
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王国社・237ページ・2100円/いそざき・あらた 31年生まれ。建築家。著書に『建築における「日本的なもの」』など。




