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梁塵秘抄 [編纂]後白河法皇 [訳]川村湊

[評者]田中貴子(甲南大学教授)

[掲載]2011年07月31日

[ジャンル]文芸

表紙画像

 ちょっとこの歌に耳をお貸しください。
 ピチピチギャルは 十に プラスの四、五、六
 レディの盛りは 二十三、四まで
 三十四、五にもなったなら きいろい紅葉の 枯れ落葉
 いかにも「昭和」な感じのする場末の酒場で、化粧の濃い女が常連さんを前に歌っている雰囲気がしませんか? そう、ムード歌謡とか演歌などと呼ばれるたぐいの歌に似ていますが、実はこの原歌は、12世紀に作られた『梁塵秘抄』に収められた「今様」という歌謡の一つなのです。
 「今様」とは、その名の通り「はやり歌」のこと。貴族文化の華である和歌とは違い、酒宴の娯楽として歌われた、ごく俗っぽい性格のものです。『梁塵秘抄』は後白河法皇が自ら編纂した今様の歌詞集ですが、そもそも皇族のような高い身分の人が今様に手を出すことじたい、異例中の異例でした。なぜなら、今様は主に遊女や傀儡(くぐつ)といった身分の低い雑芸者の持ち芸だったからなのです。
 はやり歌は、現代でいえば歌謡曲に当たる、という主旨のもとに、川村氏は新たな現代語訳を生み出しました。その一例が、冒頭の歌です。『梁塵秘抄』は「日本古典文学」として認識されていますので、このような大胆な訳は古典の冒涜(ぼうとく)と息巻く方があるかも知れません。
 しかし、今様の解釈に「遊女の心情」を過剰に投影し、歌の内容と歌い手を素朴に結びつけてしまう過去の例を一蹴する試みとして、評価したいと思います。今様は「遊び」という要素なしには理解できません。我が身の不幸を朗々と歌い上げる藤圭子(宇多田ヒカルの母親です)が、実際不幸かどうか関係ないのと同じです。すべては「芸」のなせるワザなのですから。
 地道な研究に基づく「新訳」は、日本古典を今に活(い)かす方向を批判的に示しているでしょう。「解説」も必読です。
    ◇
 かわむら・みなと 51年生まれ。文芸評論家。『海を渡った日本語』など。

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