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円城塔「これはペンです」書評 小説の可能性を広げる煌めき

評者: 奥泉光 / 朝⽇新聞掲載:2011年11月06日
これはペンです 著者:円城 塔 出版社:新潮社 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784103311614
発売⽇:
サイズ: 20cm/173p

これはペンです [著]円城塔

 小説は様々な主題を軸にして書かれる。それは恋愛であったり、暴力であったり、人生の夢や挫折であったりする。だが、多くの優れた小説が、それら多様な主題の裏側にもう一つの主題を隠し持っている。小説とは何か? の謎である。小説を書くこと自体が小説の主題となる、いわゆるメタフィクションは、このジャンルを根本において特徴づけているといってよい。
 小説とは何か? それは文字の一定量の集積からなる何かである。という以上の定義をするのは意外に難しい。だが、この定義では電話帳も小説ということになってしまい、いや、電話帳もまた小説とみなしてよいのではあるまいかと、考えてみなかった小説家は少ないはずだ。小説を細胞に比すれば、その細胞膜は外部に広がる文字の海に絶えず溶け出して、不定形なまま遊動しているのであり、この輪郭の曖昧(あいまい)さこそが、単なる物語でも情報でもない、小説としか呼びようのないこのジャンルの力の源泉なのだ。
 自動的に文章を書く機械を発明した叔父からコンピューター・サイエンスを学ぶ姪(めい)に届く手紙。これを軸に展開する一篇(ぺん)は、小説の謎を前景化した小説といってよいだろう。ここでは書くことをめぐる不思議が奇抜で魅力的なアイデアとともに展開される。たとえば叔父の手紙は、各面にアルファベットが印(しる)された骰子(さいころ)状の磁石や、電子顕微鏡でしか見えない分子で書かれていたりする。小説の輪郭どころか、文字という記号の輪郭さえ溶け出しているのだ。
 科学用語を多用して書かれた文章を読みにくいと感じる読者も多いだろう。けれども、本篇には小説の謎が疑いもなく匂いたち、物語をただ欲しがるのではない、本格的小説好きの読者であるならば、充満する虚構の香りに魅惑されずにはいられないだろう。小説の可能性を押し広げる言葉の運動、その放つ煌(きら)めきがここにはある。
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 新潮社・1470円/えんじょう・とう 72年生まれ。『烏有此譚』(野間文芸新人賞)、『後藤さんのこと』など。