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私自身であろうとする衝動―関東大震災から大戦前夜における芸術運動とコミュニティ [著]倉数茂

[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)

[掲載]2011年11月27日

[ジャンル]社会

表紙画像

■「美的アナキズム」が問うもの

 旧来の共同体が崩壊し、個が浮遊する今日。社会の流動化によって、あらゆる領域の自明性が喪失している。そんな時代には、なぜ生きているのかわからないという事態が生じ、人は「根拠なくただ生きているだけ」という状況に陥る。「私という生」が裸のまま、世界にさらされるのだ。
 著者は言う。「この裸の『生』に意味と文脈を回復するために、あらためて生を思考すること、生から思考することが必要なのである」
 著者が注目するのは、関東大震災前後の日本。明治の社会的桎梏(しっこく)から解放され、自由で創造的な「私」の創出が期待された時代だ。有島武郎に代表される「生の解放」の潮流を、著者は「美的アナキズム」と捉える。美的アナキストは、本能、欲望、衝動を絶対的に肯定し、自己を縛る規範を拒否する。そして、自己の内部に生という能動的自然を見いだし、崇拝する。
 「私という生」を超えるものは存在しない。いかなる超越も認めない。当然、そのような思想は国家の法権力と抵触する。現に「生の拡充の中に生の至上の美を見る」と言った大杉栄は、葬り去られた。
 しかし、美的アナキストは国家を超えた連帯を夢見る。自律した個人同士の絆こそが社会体を産出し、生を解放する。内面的な自己の解放と抑圧された人たちの政治的解放が、共に「生の拡張」「自己表現」として一致するのだ。
 ここにロマン主義的アソシエーショニズムが誕生する。宮沢賢治や柳宗悦は「ともに働き、ともに芸術活動に打ち込むことで、人々がひとつになれる」と考えた。この延長に、著者は保田與重郎の文学と超国家主義を定置する。
 秩序に保護されず、規範の底が抜けた「不安」を、「生の解放」で超克できるか。美的アナキストの系譜が、日本浪漫派へと流れ込むアイロニーをどう捉えるべきか。問いは時を経て、今の日本を突き刺している。
    ◇
 以文社・2940円 くらかず・しげる 69年生まれ。小説作品に『黒揚羽の夏』。

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