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歌集 小さな抵抗―殺戮を拒んだ日本兵 [著]渡部良三

[評者]上丸洋一(本社編集委員)

[掲載]2012年02月05日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■語り継ぐべき稀有の人間記録

 上官の命令は、天皇の命令と心得よ、と軍人勅諭は兵に命じた。天皇の命令に従って捕虜を虐殺するか、神の命令に従って虐殺を拒むか。キリスト教を信仰する22歳の新兵が選んだのは、後者だった。
 1944年春、中国・河北省の駐屯部隊に派遣された渡部良三は、中国共産党第八路軍の中国人捕虜5人を虐殺するよう、他の新兵とともに命じられた。「度胸をつけさせる」との理由だった。
 後ろ手に杭に縛られた捕虜をめがけて、初年兵が突進する。先に剣のついた刺突(しとつ)銃で捕虜の胸を突く……。
 1人の捕虜の体に10人ほどの新兵が剣を突き刺した。ボロのようになって足蹴にされ、穴に捨てられる死体。
 〈血と人膏(あぶら)まじり合いたる臭いする刺突銃はいま我が手に渡る〉
 しかし、渡部はその場を動かなかった。
 〈鳴りとよむ大いなる者の声きこゆ「虐殺こばめ生命を賭けよ」〉
 〈「捕虜殺すは天皇の命令(めい)」の大音声眼(まなこ)するどき教官は立つ〉
 抗命のキリスト者は、昼夜の別なく、凄惨(せいさん)な拷問を受けた。
 〈三八銃両手(もろて)にかかげ営庭を這いずり廻るリンチに馴れ来〉
 これらの短歌を記したメモを、渡部は衣服に縫い込めて日本に持ち帰った。しかし、「汝(なんじ)殺す勿(なか)れ」の教えを上官にも戦友兵士にも説かなかったこと、日本軍の略奪、強姦(ごうかん)、殺人を制止しなかったことを悔いて、渡部は戦後長く沈黙を守ってきた。
 せめて孫に、と最初(92年)私家版として編まれたのがこの歌集だった。敗戦後の作を含む924首を収める。
 稀有(けう)の人間記録である。日本がかつてアジアを侵略したこと、その軍隊で渡部の「小さな抵抗」があったこと。これらはともども次代へ語り継がれねばならない。本書刊行の歴史的意義は大きい。
    ◇
 岩波現代文庫・1029円/わたべ・りょうぞう 22年生まれ。国家公務員を定年退職後、本格的に歌集を編む。

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