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肖像画の時代―中世形成期における絵画の思想的深層 [著]伊藤大輔

[評者]荒俣宏(作家)

[掲載]2012年02月19日

[ジャンル]歴史 アート・ファッション・芸能

表紙画像

■似絵・僧侶像の従来説に挑戦

 定説に疑問をぶつけることは勇気を要する冒険だ。勇敢な本書は、「昔の日本に肖像画がなかったのは、リアルに描かれた自分の顔が呪詛(じゅそ)に使われるのを恐れたからである」という定説に挑戦する。大冒険に向かう高揚感を敢(あ)えて抑えた著者の文章には自信が仄(ほの)見え、「呪詛防止」という定説が気に入っている評者に懼(おそ)れを抱かせたが、読後、この心配は別のかたちで解消され、改めて日本の肖像画史に興味が湧いた。
 まず、昔の日本にも肖像画がたくさんあったことを、落書きから似絵(にせえ)まで多数の事例で解き明かす。事実、運慶の彫った菩薩(ぼさつ)立像の迫力ある貌(かお)など、仏師たちがあれだけできた写実的な容貌(ようぼう)を、絵師が描けなかったはずはないのだ。しかも、日本人は呪詛を恐れる以上の執着をもって、亡くなった人や恋しい人の「似姿」すなわち「代替物」を欲しがった。
 それが形見や遺髪ならばリアルな代替物だが、姿を写した絵や立像なら「肖似性(しょうじせい)」を持つイメージの代替物となる。まさに愛は呪詛を超えていたというべきか。
 それでも平安貴族は、肖像画を描かれるのを忌避した。著者はこれに対しても、似顔絵が批判や風刺に使われ、相手の「醜さ」を表現するときにだけそのリアルさが活用された結果だと説明する。リアルな肖像画は指名手配書の写真も同然だったのであり、逆にいえば、相手を褒める美人画なんて真の肖像画ではないという、刺激的な展開になる。
 しかし、著者が日本の肖像画を主題にしたのには、もっと大きな目的があった。鎌倉時代に僧侶の肖像画が起こした変革、とりわけ樹上で座禅を組む明恵上人の肖像画の意味を読み解くことだ。この絵の目新しさや異様性を持ち上げる従来説を一通り潰してから、ゆるりと自説を開陳する著者の筆法がここでも冴(さ)えて、なかなかに小気味よい力作だ。
    ◇
名古屋大学出版会・6930円/いとう・だいすけ 68年生まれ。名古屋大学准教授。『金刀比羅宮の美術』

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