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バイエルの謎―日本文化になったピアノ教則本 [著]安田寛

[評者]川端裕人(作家)

[掲載]2012年08月05日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■響き合う母子の思い見いだす

 評者が幼い頃、ピアノ初学者にはバイエル教則本と決まっていた。長じて子を得、ピアノ教室に通わせたところバイエルは消えていた。90年代「古くさいだけで特に優れているわけでもない(バイエル)教則本を、後生大事に使っているのは日本だけ」と指摘されたのが原因のようだ。
 ではバイエル教則本とは何だったのか。本当に「古くさい」だけだったのか。なぜ100年以上も日本で使われ続けたのか。といった疑問が湧く。
 作者フェルディナント・バイエル自身、謎の人物だ。分かっているのは生没年月日や、芳しくない音楽的評価くらい。実在の人物かという水準で疑わざるを得ないほど情報が少ない。初版を出版したドイツのショット社にも人物像につながる情報はない。
 著者はアメリカのニューイングランド音楽院経由で、明治時代に日本にバイエル教則本が入り、戦後、ピアノの普及と、音感教育など日本独特の教授法の進化に際して、独自に拡張されていった経緯をまずは見いだす。「日本文化としてのバイエル」について理由が示されたといえる。
 では、本来の教則本はどんな文脈で生まれ、使われたのか。ドイツ・マインツ市で偶然見つけた自宅の改築届をきっかけに、教会の洗礼記録、文書館の誕生死亡記録を辿(たど)る。作者の実在が示され、プロテスタント一家で楽才豊かな母にピアノの手ほどきを受けたなど傍証が挙がる。
 著者が初期の版の教則本に見いだした秘密は心温まる。最初の2曲だけが伴奏付きの変奏曲である不思議な構成を見据えると、教則本の前半ほとんどがその2曲のさらなる変奏曲と捉えられるというのだ。同じ伴奏が適用でき、幼い子が母親の伴奏で弾けるようになっている。当時の家庭環境に根ざしたニーズに応えたのだろうか。日本でも「バイエルくらいは弾けるように」と親が願った時代を思い、響き合うものを感じる。
    ◇
音楽之友社・2520円/やすだ・ひろし 48年生まれ。奈良教育大教授。著書に『日本の唱歌と太平洋の讃美歌』など。

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