書評・最新書評

その日東京駅五時二十五分発 [著]西川美和

[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)

[掲載]2012年09月09日

[ジャンル]歴史 文芸

表紙画像

■静謐感が醸す「戦争のリアル」

 「終戦当日、ぼくは故郷広島に向かった。この国が負けたことなんて、とっくに知っていた」という帯文に惹(ひ)かれつつ、本書を手に取ることを少しためらった。巷(ちまた)での「あの戦争」の語られ方にやや食傷感があるからだ。
 しかし、そこは現代日本を代表する若手映画監督であり、前作『きのうの神さま』が直木賞候補になった技巧派の著者。賭して読み始めた。
 そして、その選択は大正解だった。
 物語は終戦間際に通信隊に召集された著者の伯父の手記がもとになっている。わずか3カ月の間に激変してしまった故郷。そこに舞い戻るまでの主人公の心情描写には静謐(せいひつ)感が漂い、心音すら聞こえてきそうだ。そして、それゆえに「あの戦争」がかえってリアルに迫ってくる。
 こうした難度の高い作風を可能にしたのは、一文一文の完成度の高さと時間軸の巧みな使い方、そして何よりも〈人間〉に対する著者の炯眼(けいがん)ゆえだろう。
 登場人物の「嘘(うそ)」を通して人間の本性――汚さ、冷たさ、愚かしさ、優しさ、逞(たくま)しさなど――を描き出す著者の力量はすでに折り紙付きだが、原爆投下後の広島で出会った「誇り高き火事場泥棒たち」の話一つを取ってみても、その鋭い目線は健在だ。
 そして、その広島で耳にしたツクツクボウシの鳴き声から主人公が人生を思案する場面などは、何度読み直しても、深く美しい。
 「あとがき」で著者は本書を「終戦と震災、奇(く)しくもその両方に支えられながら書き上がった作品」としている。3・11の一報に接したのは実家のある広島での執筆中だったそうだが、「8・15」と「3・11」の接点についてここまで掘り下げて考察した文章を私は知らない。
 巻末に辿(たど)り着くのが惜しく、いつまでも読み続けていたいと思った。文学の力を改めて知らされる一冊だ。
    ◇
新潮社・1260円/にしかわ・みわ 74年生まれ。映画監督・作家。作品に映画と小説の『ゆれる』など。

関連記事

ページトップへ戻る