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「異端」の伝道者 酒井勝軍 [著]久米晶文

[評者]荒俣宏(作家)

[掲載]2012年10月07日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■貧困を哲学に高めた快男児

 酒井勝軍(さかいかつとき)と聞いて、「日本のピラミッド」を発見した人物だとピンとくる奇書マニアでなく、そういう方面にまるで関心のない一般読者に読ませたい大冊である。
 明治期、東北で開始されたキリスト教伝道団の学校で苦学した一青年の驚くべき貧乏生活が、本書の前半を占める。一家で男物と女物が一着ずつしかなく、それを交代で着ていたほどの貧困、花札貼りや牛乳配達の仕事に精励するあまり死にかけたほどの苦難。しかし酒井はその貧乏体験を哲学に高めた。
 説教よりも実働による自己確立をめざす一方、給料を得て活動する伝道者のありかたには疑問を抱いた。さらに音楽を霊からの声と発想して説教よりも重視するに至り、信仰者として「異端、背教」と批判されるのも構わず、讃美歌(さんびか)を学ぶため決死のアメリカ留学を敢行するまでの前半生は、明治の立志伝として出色といえる。
 酒井という快男児をキリスト教の網に掬(すく)い取った東北伝道史こそ、まことに興味ぶかい。野球を日本に根付かせた冒険小説作家押川春浪(しゅんろう)を子に持った押川方義(まさよし)を中軸とし、押川が東北各地に開いた神学校や、教会がつないだ青年たちの奇縁が、詳しく語られる。新宿中村屋を起こした相馬黒光(こっこう)(酒井に淡い恋心を抱いたという)、島崎藤村や岩野泡鳴ら文学者たち、また酒井が留学先でアポなし面会を申し入れた伊藤博文までも、酒井の青年期と接点を結ぶのだ。
 この長大な前半を終えて、著者はようやく酒井独特の異端思想を分析し始める。
 このあと酒井は戦場を体験し、渋谷で「聖なる幻覚」を見ることで、一転して神秘の日本史にかかわる思想/妄想に憑(と)りつかれるが、著者はそこを極力冷静な手法で解き明かそうと努める。本筋の日本ピラミッドや日ユ同祖説、キリスト日本渡来説に向けた著者の想(おも)いは熱く、本を擱(お)かせてくれない。
    ◇
学研・3990円/くめ・まさふみ 53年生まれ。専修大学非常勤講師。『図説 異端の宗教書』。

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