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漂うモダニズム [著]槇文彦

[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)

[掲載]2013年05月05日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■エース建築家の逆説的希望

 20世紀初頭、モダニズムというデザインの潮流が、世界を覆いつくした。コンクリートと鉄とガラスによる、合理的でグローバルな建築デザインが、世界を制覇した。槇文彦は、モダニズム建築の世界的エースであり、80歳を超えて、いよいよ活発に世界で建築を建て続ける。
 その当の槇が、近代小説の終焉(しゅうえん)を論じた水村美苗の『日本語が亡(ほろ)びるとき 英語の世紀の中で』を引きながら、モダニズム建築の終焉を語る。モダニズム建築と日本の近代小説の併行(へいこう)性が浮かび上がってくる。
 キーワードは、「翻訳」である。20世紀、すなわち工業化社会とは、翻訳者の時代であったというのが、槇と水村の共通認識だろう。翻訳者というエリートが、社会をリードして、誰も文句をいわなかった。なぜなら、工業化社会は、エリートが先端知を運ぶ、成長・拡張の時代であり、誰もが「拡張」のおこぼれにあずかれるから、エリートに対して文句をいわなかった。建築家は、モダニズムという「大船」に乗っていれば、エリートとして、堂々としていられた。
 しかし、すべてがシュリンクする脱工業化の時代は、どんな文化によって支配されるのか。「文化」に代わって、広告代理店的マーケティングの産物である「文化商品」が席捲(せっけん)する、と水村は暗く嘆く。逆に、槇の状況分析は明るい。言語という抽象的なものを扱う文学と、建築という具象的、具体的なメディアの本質的な差異が、評者にはとても面白く感じた。モダニズム=大船の時代においてすら、翻訳の産物であるそれぞれの建築は、恐ろしいほど多様であったと槇はいう。建築は、現地の材料と技で、その場の環境に適合する形で、血肉化するしかないからである。モダニズムの正統的嫡子(ちゃくし)の槇が、脱モダニズム、脱エリートの、全員が漂流する時代の建築の可能性を指し示すパラドクスは、感動的ですらあった。
    ◇
 左右社・6825円/まき・ふみひこ 28年生まれ。建築家。著書に『見えがくれする都市』『記憶の形象』など。

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