書評・最新書評

神と肉―日本の動物供犠 [著]原田信男

[評者]三浦しをん(作家)

[掲載]2014年06月08日

[ジャンル]社会

表紙画像

■米の豊作を願い捧げられた命

 肉が好きだ。しかし、日本では明治になるまで、ほぼ肉食はしなかったと聞いたことがあり、「すみません、動物をばくばく食べちゃって」と少々うしろめたく思っていた。
 だが本書によると、日本人は縄文時代からずっと、肉を食べてきたのである。「これを持っていれば、肉を食べても許される!」という、諏訪大社が発行するお札(ふだ)(「鹿食免(かじきめん)」)まで存在した。やっぱりなあ、肉はおいしいもん。抜け道を探してでも、食べたいものです。
 ではどうして、表立って肉を食べにくい風潮があったのかというと、飛鳥時代から国家が殺生と肉食を禁じてきたからだ(ただし、当初は猪〈いのしし〉や鹿などの野獣を食べるのは許されていた)。禁令が出た背景には仏教思想もあるようだが、一番の要因は、米を安定的に生産するためだった。稲は栽培が難しく、豊作を目指して、さまざまなタブーが人々に科された。「動物を殺生したから、米が不作になったのだ」という理屈で(現代人の観点からすれば「迷信」だが)、肉食は禁じられていった。
 同時に、動物を殺して神に捧げる儀式(動物供犠)は、稲作と密接に絡みながら、日本各地で行われつづけた。米を作るのに、どうして動物を捧げる必要があるんだ、と怪訝(けげん)に思う気持ちも、本書を読み終わるころには氷解するだろう。著者は、現在も残っている祭りを実地調査し、文献も詳細に読み解いて、「米と肉」「国家と民間儀礼」について明快に論じる。はじめて知ることばかりで、非常に興味深かった。
 大切な米を安定生産するために、動物の大切な命を捧げて祈る。人々がどれだけ真剣に、天候や動植物のサイクルのなかで暮らしてきたかが、動物供犠を調べることから浮かびあがってくる。今後もありがたく、肉(むろん、米も)を食べようとつくづく思った。
    ◇
 平凡社新書・929円/はらだ・のぶお 49年生まれ。国士舘大学教授(日本文化論)。『歴史のなかの米と肉』など。


関連記事

ページトップへ戻る