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ポール・ユーン「かつては岸」書評 もやの向こうに歴史の爪痕

評者: いとうせいこう / 朝⽇新聞掲載:2014年09月07日
かつては岸 (エクス・リブリス) 著者:ポール・ユーン 出版社:白水社 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784560090343
発売⽇: 2014/06/27
サイズ: 20cm/256p

かつては岸 [著]ポール・ユーン

 作者ポール・ユーンは韓国系アメリカ人で、訳者あとがきによればO・ヘンリー賞も獲得している若手作家。
 透明感のある文章で貫かれた短編集の背景はすべてソラ島という架空の場所(済州島がモデルらしい)であり、そこで交差するアメリカ人、韓国人、日本人の内面の翳(かげ)りを作者は鮮やかに伝える。
 作品にかつてのアジア作家の土着感はない。むしろ国や地域にとらわれない越境的な感覚で、淡々と物語は進む。
 例えば、架空のソラ島には、作者が敬愛するというマイケル・オンダーチェの『イギリス人の患者』を思わせる幻想的な病院が出てくるし、作者注には他にも様々な先行テクストの存在が書き込まれている。
 ソラ島で人種が出会って別れるように、テクストもまた美しくより合わされたのだ。
 ただ、それが机上の実験に終わらないのは、作者が歴史の交差をも積極的に書き込んでいるからだろう。そもそも表題作「かつては岸」には、日本のえひめ丸の悲劇が響いているという。他にも第2次大戦後に島から日本軍が撤退したあとのアメリカ軍との交流が出てくるかと思えば、そのアメリカ軍の戦後の爆撃事件が物語をよぎる。
 歴史は不可逆的な時間の爪痕を残し、想像の中の現在を生み出す。文章の質や話の設定には非歴史的なポストモダン感覚が流れているのに、端々に作者では取り返しようのない過去が刻まれる。そこにこそ作者のアイデンティティーが強く感じられる。
 この融合の具合がポール・ユーンの真骨頂なのだろう。幻想的な靄(もや)の向こうで短編は展開する。けれども点々とした血の赤さが、割れた大地の黒さがかすかに、ほんのかすかに浮き上がってくる。
 こうした若いアジア系作家が次々と世界文学の地平に出現している。彼らから学ぶことは、上の世代の世界中の作家から学ぶことと同義だ。
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 藤井光訳、白水社・2484円/Paul Yoon 80年、ニューヨーク生まれ。作家。最新作は『Snow Hunters』。