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死者を弔うということ―世界の各地に葬送のかたちを訪ねる [著]サラ・マレー

[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)

[掲載]2014年09月28日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■葬儀埋葬不要でいられるか

 人はいかに人を葬ってきたか。ニューヨーク在住のイギリス人ジャーナリストが、世界各地の葬送習慣を訪ねながら、父親の看取(みと)りと葬送を回顧し、来るべき自分自身の葬送方法を考えていく。
 どんな人も自殺以外の死に方を自分で選ぶことはできない。けれど死後の葬送や死体の処理及び保管方法については、選ぶことができる。骨を宇宙に打ち上げようが、海に撒(ま)こうが、凍結保存しようが、自由だ(法規制はあるけれど)。
 一方で強い信仰を持っていたり、伝統的な共同体の中で暮らす人々にとっては、葬儀や埋葬方法を選ぶという行為自体がありえないはず。評者は信仰を持たないが、「自分らしい葬送」を遺(のこ)される人に押し付けることにもためらいがある。
 けれどもシチリアのカタコンベやアメリカのエンバーミング、バリ島の火葬、香港の清明節など、古今東西のさまざまな葬儀と死体処理方法を読み進めるうちに、人間にとっていかに死が受け入れがたいものであるのか、生と死の間に儀式を挟むことで悲しみや恐怖を緩和できるかを痛感する。死後にも世界は続くのだと、多くの民族は考え、考えた結果がこれかと目を剥(む)くような儀式を執り行う。死生観が違うので他民族の葬儀はどうしたって奇妙に映る。自分は不要と思っているけど、こんな葬儀なら面白いかな、などと思えてくる。
 もちろん現代では死後の世界を信じない人は多い。死ねばただの物質になるだけとばかりに徹底した無神論者を貫き、葬儀全般を否定した著者の父親もそうだった。
 それが死を目前にして変節、遺灰のやり場を遺言するのだ。圧倒的な無を前に、何を思ったのだろう。死後の世界を信じない者としては、このシーンは一番考えさせられた。死を前にしても自分は葬儀埋葬不要でいられるのか。死ぬ直前まで答えは出ないのかもしれない。
     ◇
 椰野みさと訳、草思社・2916円/Sarah Murray 作家、ジャーナリスト。英米の有力経済紙誌などに寄稿。


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