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老北京の胡同―開発と喪失、ささやかな抵抗の記録 [著]多田麻美 [写真]張全

[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)

[掲載]2015年03月22日

[ジャンル]歴史 社会

表紙画像

■路地は相互扶助・情報交換の装置

 中国の路地のことを胡同(フートン)という。暗いグレーのレンガの壁が延々と続き、狭く、長く、全く迷宮である。レンガ壁の裏側に、大小様々な中庭型住宅が並び、これが北京の住宅地の基本形式であった。
 なぜこのモノトーンの狭く汚い路地を歩くと心がなごむのか。その謎に、この本が答えをくれた。
 ヴィジュアル、すなわち見かけだけでは、胡同はわからないという答えである。景観論的、建築家的な評価方法では、全く見えないものがそこには隠れていた。路地の裏の生活システム、社会システムがすごかったのである。核家族を前提とする、人間がぶつ切りにされた20世紀流システムとは対極の、相互扶助と情報交換の強靱(きょうじん)なシステムがそこに存在していた。著者は14年にわたる自分自身の胡同生活、そこで出会った中国人との結婚—夫は、胡同の生活の魅力を伝える、文中の写真の撮影者でもある—を通じて発見したのである。
 時々の為政者による上からの抑圧的システムにかかわらず、中国人は、胡同という装置によって自らを支え続けてきた。その具体的な様子も、胡同の老人たちの昔語りを通じて、活写される。
 中国に昔から存在していた貧富の差や地方の格差の問題の解決にも、都市の中の胡同という装置が大きく寄与していたことに驚いた。地方から出てくると、まず胡同という迷宮に入り込んで、同郷人で助けあう。住居の形式が、デザインが、社会的格差から人間を救い出していたのである。
 だから、胡同が近年の不動産ブームで激減したことは、文革の時以上の、中国システムの破壊だと、僕は感じた。中国政府がここに到(いた)り、突然、胡同保存に目を向けたのは、海外メディアの圧力によるばかりではないだろう。僕自身、これを読んで、自分の北京事務所を胡同の中に移そうと決めた。
    ◇
 晶文社・2160円/ただ・あさみ ライター・翻訳者。北京在住。ジャン・チュアン フリーカメラマン。



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