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相互扶助の経済—無尽講・報徳の民衆思想史 [著]テツオ・ナジタ

[評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)

[掲載]2015年04月26日

[ジャンル]経済

表紙画像

■したたかな現実主義と弱さ

 講、無尽、頼母子(たのもし)、もやいなど、さまざまに呼ばれる民衆の相互扶助組織。「契約」を交わした人びとが互いに資金を出し合い、抽選などによって貸付(かしつけ)を受け、一定期間で返済する仕組み。千年遡(さかのぼ)れるとされるこの営みは、江戸時代に広まり、近代日本でも大きな役割を果たした。
 大坂町人の学問所、懐徳堂の研究で知られるナジタは、日本の代表的な生命保険会社が懐徳堂の跡地に立っていたことを知り、この国における人びとの助け合いの歴史を研究し始めたという。
 無尽という言葉には仏教とのつながりもあり、実践の背後には、海保青陵、安藤昌益、三浦梅園らの思想があった。二宮尊徳が創始した「報徳」運動もその系譜上にある。しかし、ふつうの人びとが自主的な実践を続けたのは、飢饉(ききん)や災害、伝染病などの緊急事態に「天が人を救うこと」はなく、藩からの支援もないので、「村は自分たちの資源に頼る」しかないという厳しい認識があったからだという。
 実際には「謝金」という形がとられたとはいえ、利子が禁じられ、経済的行為であると同時に道徳的行為と見なされていた無尽は、維新後、資本主義原則に沿った形で制度化されるよう求められた。農商務省の官僚であった柳田国男もそうした改革の必要性を説いたが、「貧者は貯蓄できず、貸付を受けるための担保もない」状況では、それは弱者救済の放棄を迫るに等しかったと著者は批判する。
 無尽会社、相互銀行などと形を変えながら生き延びたこの実践に、著者はしたたかな現実主義を見てとるが、村のつながりしか信じられなかった点に、この社会の弱さを指摘することもできるだろう。
 しかも、著者はふれていないが、いまの都会で「むじん」といえば、消費者金融の機械窓口の名前である。村の連帯さえ失われた後、あらゆるリスクは個人の肩にのしかかっている。
    ◇
 五十嵐暁郎監訳、福井昌子訳、みすず書房・5832円/Tetsuo Najita 36年、ハワイ生まれ。シカゴ大名誉教授。

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