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対華二十一カ条要求とは何だったのか—第一次世界大戦と日中対立の原点 [著]奈良岡聰智

[評者]吉岡桂子(本社編集委員)

[掲載]2015年04月26日

[ジャンル]社会

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■報道と世論が衝突をあおった

 日本史の教科書でいえば1頁(ページ)ほどの記述なのに、中国では日本から屈辱的な要求をのまされた「国恥(こくち)記念日」として語り継がれる日がある。1915年5月9日。まもなく100年を迎える。
 いきさつをおさらいする。
 日本は、第1次世界大戦に日英同盟を理由として直ちに参戦を決めた。ドイツに宣戦し、中国に対して山東省のドイツがもつ利権の継承や南満州の権益の強化など21項目にわたる要求を突きつけた。欧米列強にアジアからの後退を強いた大戦を、「天佑(てんゆう)」とみなして権益拡張を目指す日本は、辛亥革命後の中国の新しい国づくりを妨げる単独敵として急浮上していった――。
 中国における「反日」の源流とも言える歴史を、筆者は「日中対立の原点」とみなす。そして、対中強硬派におされて要求内容が膨らんでいった日本の政策決定過程と、日中の交渉を検証する。
 手堅い歴史書でありながら映画を見るように読みすすめられた。日本の外相だった加藤高明を主役に、各国の政治家や外交官、記者らの動きが、史料や当時の内外の報道をもとに謎解きのごとくつづられる。とくに、英国の視点がスパイスになっている。
 日本の露骨な膨張熱は、秘密主義があいまって英米からの不信も招いた。内政干渉といえる内容を含む「要求」について、中国の袁世凱政権は欧米メディアへ巧みに情報を流し、国際世論を味方につけようとする。いっぽう、日本の駐北京公使は取材に応じず「アイ・ドント・ノー(私は知らない)」というあだ名で呼ばれていたという。情報戦で日本が「包囲」されるにつれ、国内の報道は反発を強めて扇情的になっていく。
 戦時の政策に与える世論の影響が印象に残る。沸き立つ世論にあおられて先鋭化した日中の対立は、次の衝突の呼び水となった。第2次世界大戦敗戦から70年の今年、「原点」をたどる意義は深い。
    ◇
 名古屋大学出版会・5940円/ならおか・そうち 75年生まれ。京都大学教授(日本政治外交史)。

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