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民間社会の天と神仏—江戸時代人の超越観念 [著]深谷克己

[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)

[掲載]2015年11月15日

[ジャンル]歴史 社会

表紙画像

■民衆意識への浸透を実証的に

 天と神と仏の「超越観念」が民間社会にどう浸透していったか、民衆は超越観念にいかなる崇敬を捧げたかを、江戸時代を舞台として探る。
 著者の視線は為政者ではなく、民衆に注がれる。そのため、当時の学者の理論はひとまず措(お)く。宮崎安貞の『農業全書』、田中休愚の『民間省要』、大塩平八郎の『檄文(げきぶん)』など、民衆の生活の中から生まれ、民衆の精神を解き明かす資料を読み解きながら、日常における名もない人々と超越存在の関わりを実証的に明らかにしていく。その作業は緻密(ちみつ)で、説得的である。
 幕府は儒学を重んじた。この学は「聖人の政は教養の二事に尽きる」と強調する。「教」は民を教え諭すこと。「養」は民を富ませること。順序は「養」が先で「教」があと。民が十分に腹を満たし、その後に教えが展開される。この現実的な特徴ゆえに儒学は民間社会に受容され、儒学が説く「天」は神や仏より相対的に上位の存在として立ち現れると本書は考察する。
 中国思想史の溝口雄三は、「日本の天」と「中国の天」とは全く違うものだ、と言い切る。日本の天は茫漠(ぼうばく)とした超越存在であるが、中国の天は統一的な意思をもつ。それはキリスト教の「天なる父」=絶対神に近く、善なる行いに祝福を与える一方で、自らに背く者を討ち滅ぼす。
 だが本書はそうした解釈を採用しない。視野を大きく広げ、あえて日本の天と中国の天をあわせ捉え、民衆の意識を探る。それは東アジア史の一環として日本史を位置づけたい、という著者の強烈な意図が創出した方法論である。
 日本は近代から「脱アジア」を標榜(ひょうぼう)してきた。けれども、それは正しい道なのか。中国由来の天、日本固有の神、インドに淵源(えんげん)を持つ仏。超越観念が織りなす入り組んだ構図からは、日本の民間社会が確実に東アジアと連携していることが読み取れる、と著者は力強く説いている。
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 敬文舎・2592円/ふかや・かつみ 39年生まれ。早稲田大学名誉教授。著書に『東アジア法文明圏の中の日本史』ほか。

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