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現代ゲーム全史―文明の遊戯史観から [著]中川大地

[評者]末國善己(文芸評論家)

[掲載]2016年10月09日

[ジャンル]政治 社会

表紙画像

■社会変えた歴史に迫る本格批評

 今年6月に出た小山友介『日本デジタルゲーム産業史』(人文書院)など、デジタルゲームの歴史を総括する労作が増えている。本書もその一つで、黎明期(れいめいき)から「ポケモンGO」に至る日米のゲーム史を描き、ゲームが社会をどのように変えたかに迫る大作である。
 著者は、写真を一切使わず、ゲームのシステムや画面構成を文章だけで説明する。ここには広告と情報を得たいメディアと、ゲームを売りたいメーカーが相互依存し、長く本格的なゲーム批評が書かれなかったことへの批判も感じられる。
 ゲームを動かすコンピューターは、アメリカの原爆開発の副産物だった。著者は、国家が管理するコンピューターでゲームを作った技術者には、反体制のハッカー気質があり、この伝統は今も残っているとする。
 こうして誕生したゲームは、敗戦国で原爆被害国の日本に輸入され、独自に発達する。「スペースインベーダー」やファミコン文化をアメリカへ輸出し、社会現象を巻き起こした20世紀までと、職人技で新しいゲームを作る日本が、専用ソフトを使って組織力で世界標準のゲームを作るアメリカに抜かれガラパゴス化した近年の状況は、ほかの産業にも当てはまるので、日米関係史としても面白い。
 1990年代、日本ではゲームセンターで行う対戦格闘ゲームが、アメリカではパソコンを持ち寄って対戦する一人称視点のシューティングが流行した理由を考察する比較文化論や、アップルの初代iPodにブロック崩しが入っていたのは、当時のCEOスティーブ・ジョブズが、ゲーム会社アタリ出身だったからなど、意外な因果関係も示されていて興味が尽きない。
 見田宗介、宇野常寛の社会論を使った時代区分、ロジェ・カイヨワの遊戯論によるゲーム分析には賛否があるだろう。ただ本書は、否定派も肯定派も避けては通れない論理と資料的価値を持っており、ゲーム史の定番になるのは間違いない。
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 なかがわ・だいち 74年生まれ。編集者、批評誌「PLANETS」副編集長。『東京スカイツリー論』。

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