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坊っちゃんのそれから [著]芳川泰久

[評者]星野智幸(小説家)

[掲載]2016年12月04日

[ジャンル]文芸 人文

表紙画像

■明治の現場が迫る名作の続編

 超大型新人の登場である。文芸批評家にしてフランス文学研究者、翻訳家、大学教授の立場で現代文学を作ってきた芳川泰久が、本格的に小説家デビューした。その最初の作品は、夏目漱石の名作『坊っちゃん』の続編である。
 愛媛の中学教師を辞めた坊っちゃんは東京に戻り、不動産会社、印刷工、街鉄(今の都電)の運転手を経て、保安関係の刑事になる。一方、山嵐は群馬の牧場勤めから富岡製糸場の寮の監督になるが、ストライキに関わったとしてクビになると、東京に出てスリで生計を立てつつ、片山潜や幸徳秋水と出会い、社会主義に惹(ひ)かれていく。追う者、追われる者という対立関係の中で、二人は大逆事件に巻き込まれ、意想外な形で支え合うことになる。
 この小説の面白さは、語りの自由闊達(かったつ)さにある。研究者として培った正確な実証性に基づく史実描写と、フィクションである坊っちゃんや山嵐の行動とが絶妙に溶け合い、明治後期が現代に感じられるほどの臨場感を読者に与えてくれる。
 例えば、日比谷焼き討(う)ち事件のくだり。日露戦争でナショナリズムを極限まで高揚させた民衆は、勝利したのにロシアが賠償金も払わなければ大幅な領土割譲もないことに激怒。実際には、膨大な戦費が捻出できなくなり、長引けば戦力に勝るロシアが有利という状況で、日本政府はその講和条件を呑(の)むしかなかったのだが、勝利に酔い痴(し)れる世間は許さない。日比谷公園に集まった大群衆は暴徒と化し、交番や内務大臣邸、街鉄を焼き討ち。街鉄運転手の坊っちゃんも被害にあい、見物していた山嵐が行き合わせる。この場面の迫力は、このような光景をこれから私たちも現実に目にすることになるのではないかという恐怖を引き起こすほど、リアルだ。
 女たちが男に都合のよい形でしか描かれないのが気になったが、漱石三部作も予告されており、さらなる深化が期待できるだろう。
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 よしかわ・やすひさ 51年生まれ。早稲田大学教授。著書に『謎とき「失われた時を求めて」』他、訳書も多数。

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