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宗秋月全集―在日女性詩人のさきがけ [著]宗秋月

[評者]中村和恵(詩人・明治大学教授・比較文学)

[掲載]2016年12月11日

[ジャンル]社会

表紙画像

■路地裏の女たちの声の「氾濫」

 自転車でよく、鶴橋のコリアン・マーケットに行った。土地勘のないわたしが大阪に職を得て住みついたのが偶然、そこから駅ひとつの場所だったのだ。迷路のような路地に色鮮やかな食材や衣類がひしめいていた。市場は途切れながらさらに奥へ、別の商店街へとつながっていた。
 宗秋月がうたう女たちが自転車を飛ばし、働き、泣き、喧嘩(けんか)し、笑うのは、まさにその路地裏だ。傍らをかすめる観光客のようなわたしは、法、政治、金、性の重なる理不尽にぶつけられる激しい言葉に、ときにたじろぎながら頁(ぺーじ)を繰り、路地の奥へ導かれていく。
 巻末近く、飯沼二郎、大沢真一郎、小野誠之、鶴見俊輔との座談会録を読み、一九八三年といまの日本の国民=国家意識が、実はまるで違わないことに肩をすくめ、英訳詩篇(へん)が世界各地の移民女性の詩とみごとに共鳴することに驚き、交差点で止まり、耳を澄ます。
 文字ではなくその源の声に身を置き、在日を生きる衆の側に立つ、と心にきめた詩人の詩や小説から聞こえてくるのは、文字を習う機会のなかった母やその母たちの声だ。生活の雑多な動作とともに繰り出される彼女たちの言葉の「巧まざるユーモアの氾濫(はんらん)」を宗秋月は寿(ことほ)ぐ。「伝法で、粗野で、卑猥(ひわい)で、ストレートで、突っぴょうしもなく婉曲(えんきょく)な言葉のイントネーションとタイミングが、哀(かな)しみを笑いに替えて行く」。それこそまさに彼女自身。
 りんご、という語を故郷の果物の記憶とないまぜにして、にんご、と呼ぶ母、その変容の味わいを「溶け堕(お)ちる日本語のうまみ」と彼女は書く。済州島弁の抑揚で語られる大阪弁、佐賀弁、各地の記憶を抱えた喋(しゃべ)り言葉。自然な言語とは茣蓙(ござ)のように、隣の言葉と織り合わさっているものだと、数多くの国境が教えてくれた。この人も国境の人、豊潤な生ある日本語の人だ。母国語でなく母語といえばいい、ひとりひとり、母は違うんだもの。
    ◇
 そう・しゅうげつ 1944〜2011年。詩人。著書に『猪飼野タリョン』『サランへ・愛してます』など。



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