見張塔からずっと―政権とメディアの8年/放送法と権力 [著]山田健太

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2017年01月22日   [ジャンル]政治 社会 

表紙画像 著者:山田健太  出版社:田畑書店

■「市民力」が支える表現の自由

 この8年余のメディア状況を俯瞰(ふかん)した論集である。改めて全体の流れを確かめると「市民的自由は後退につぐ後退を余儀なくされた」と著者は説く。
 『見張塔からずっと』(前書)は、琉球新報に連載した8年分の「メディア時評」を収めた書、『放送法と権力』(後書)はこの7年余の各メディアが権力との関係でどのような立場に置かれているか、今ジャーナリストに必要な資質は何か、を具体的に提示した書だ。
 前書には沖縄の視点からの論点が幾つか示されている。たとえば世論政治は「自らの政策にあわない意見を黙殺」しがちで、その典型例が基地問題に対する「沖縄の声」だという。それが本土メディアにも及んでいるとの実情報告はなるほどとうなずける。
 この8年余の期間、「沖縄密約と辺野古新基地」「共通番号制」「秘密保護法」「安保関連法」などさまざまな事案が政治上のプログラムにのせられた。各メディアはそれぞれの姿勢で論じたのだが、つまりは二つの課題にどう向き合うべきかという状態に置かれていることがわかる。
 ひとつは、国策(国益)とジャーナリズムの対応、そしてもうひとつは、表現の自由と自主規制といった構図だ。国益と称する国策にジャーナリズムはどう対応しているのか、戦前、戦時下のメディアの教訓がどう生かされるのか、改めて注目しなければならない。加えて「表現の自由の限界」について、著者は後書で図示しながら、「表現者」はメディア内部で批判を抑える形の「内在的制約」の状態にあると分析している。この分析は貴重である。メディア自身に奮起を求め、表現の自由を「市民力」が支えることが重要だとの結論に至る。
 著者は、戦後の「放送」ジャーナリズムを四つの期間に分け、2000年以降は「行政指導の頻発」と憂うる状態にあるとの指摘も気にかかる。
    ◇
 やまだ・けんた 59年生まれ。専修大学教授(言論法、ジャーナリズム研究)。『法とジャーナリズム』など。

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