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フクシマの荒廃―フランス人特派員が見た原発棄民たち [著]アルノー・ヴォレラン

[評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)

[掲載]2017年01月22日

[ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■廃炉現場で見た人間蟻塚の過酷

 いつからだろうか。この国で重要な情報を得るには、外国人記者クラブでの会見を見なければならなくなったのは。フランスの新聞記者による福島第一原発をめぐるリポートには、いくつかの不満がある。中でも、原発大国フランスの現状との比較が乏しいのはいかにも残念である。
 それにもかかわらず、本書が決定的な意味を持つのは、沈黙が支配しがちなこの国で、「外国の新聞」に対しては人々が重い口を開いた点である。「この国では、立場を二つにはっきり分けるような意見や論議はまず聞かない」。低線量被曝(ひばく)への不安に悩む労働者たちほど、「健康状態と線量の話は好まない」。
 ところが、東京電力系列の学校を出て東電に就職し、懸命に働いた元管理職は、信じていた会社に裏切られ、故郷も友人も誇りも奪われた失意を記者に打ち明ける。米企業と福島をつなぐ役割を果たした、関連企業のトップは、自ら事故に「大きな責任を感じて」いると告げ、事故原因の解明さえ終わらぬうちに原発の再稼働と輸出が行われようとしていると正面から批判するのである。
 廃炉現場に赴いた著者の眼(め)に映ったのは、「何も生産しないし、何も建設しない」「引き算の労働」を営々と数十年続けなければならない無数の労働者がつくる「人間蟻塚(ありづか)」であった。しかも、彼らは厳しい労働環境で酷使された揚げ句、それ以上使えなくなれば「使い捨て」の運命にある。業務内容に納得できなくても、文句を言えばただちに職を失うし、労賃は中間で搾取され、手元に残るのはわずかである。
 わずか5年余前に国土の一隅に出現し、まだ開いたままの傷口に、人々は次第に慣れ、忘れようとしている。非日常を見ないことで、日常に回帰しようとしているのだ。海の彼方(かなた)から訪れたジャーナリストの鋭い観察は、そうした現実逃避の危うさと脆(もろ)さを浮き彫りにする。
    ◇
 Arnaud Vaulerin 71年生まれ。ジャーナリスト。仏紙リベラシオン極東特派員として12年から日本在住。

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