宣教師ザビエルと被差別民 [著]沖浦和光

[評者]柄谷行人(哲学者)  [掲載]2017年01月29日   [ジャンル]歴史 

表紙画像 著者:沖浦 和光  出版社:筑摩書房

■「ケガレ」からの救済を目指す

 著者は日本およびアジアの被差別民について重要な仕事をいくつもしてきた。遺稿である本書もその一つと見てもよいのだが、同時にこれは、宣教師ザビエルについての斬新な研究である。著者は、ザビエルが滞在したインドのゴアや、インドネシアの香料列島に何度も足を運んだ。しかし、この研究をユニークにしているのはむしろ、ザビエルを日本の被差別民との関係から見る視点である。ザビエルは日本に来て短期間に人々の心をとらえ動かした。多くの仏教僧侶が転向して入信した。それはなぜなのか。それについて多くの考察がなされてきたが、著者はそれを、被差別民の歴史から考察しようとしたのである。
 ザビエルが日本に宣教に来たことはよく知られているが、彼がロヨラとともにイエズス会を創始した人であることは、あまり知られていない。また、イエズス会をポルトガル、スペインの植民地主義の別動隊としてみる見方も根強い。確かに、そのような役割を果たしたことは否定できない。が、イエズス会はカトリック教会内部での宗教改革者であり、その特徴は、布教と社会奉仕を一体とする活動にあった。おそらく、そのことは、ロヨラとザビエルが、今も少数民族として独立を志向しているイベリア半島のバスク出身であったことと切り離せないだろう。ザビエルがゴアに向かったときも、たんなる布教ではなく、最初からアウトカーストや「癩(らい)者」(ハンセン病患者)の救済を目指したのである。癩者は数も多かったが、むしろ社会から排除され見捨てられた大勢の者を象徴していた。インドの人々がキリスト教に惹(ひ)かれたのは、そのためだといえる。
 その後、ザビエルが日本に向かったのも、同様の目的からである。日本において、ザビエルの態度・ふるまいは、人々を驚かせた。むろん、日本でも、鎌倉時代以後の仏教には、差別を否定する思想や癩者を救済する活動があった。しかし、近世になって、社会構造の変化とともに、「ケガレ」の思想が広がった。それが、古代・中世とは異なる「近世賤民(せんみん)制」をもたらした。特に顕著なのは、癩者に対する差別である。この病は前世の報いで、仏の慈悲も及ばぬものとされるようになった。ザビエルが訪れたのは、そのような日本である。
 また、彼が日本を去って約60年後に、徳川幕府がキリスト教を禁止し、「宗門改(あらため)」政策をとったことは、被差別民を戸籍によって厳重に固定し監視することにつながった。その意味でも、ザビエルと日本の被差別民は切り離せない関係にある。ゆえにまた、本書は著者以外にはなしえない仕事である。
    ◇
 おきうら・かずてる 1927~2015年。桃山学院大学名誉教授(比較文化・社会思想史)。著書に『天皇の国・賤民の国』『部落史の先駆者・高橋貞樹』など。「沖浦和光著作集」全6巻も刊行中。

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