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旅行のモダニズム―大正昭和前期の社会文化変動 [著]赤井正二

[評者]斎藤美奈子(文芸評論家)

[掲載]2017年01月29日

[ジャンル]歴史 社会

表紙画像

■自由な精神のもと山から都市へ

 仕事や生活で煮詰まったとき「あーあ、どこかに旅行がしたいなあ」と思ったりしませんか。なぜそんな風に私たちは思うのか。
 この本を読むとわかります。現在のような「旅行のための旅行」が確立したのはおよそ100年前。1910年代から20年代(明治末期から大正・昭和初期)にかけての、いわゆるモダニズムの時代だった。
 鉄道網が整備され、工場法などの下で休日が制度化され、時刻表や旅行雑誌が発行されて安全で計画的な旅が可能になり、かつ旅館の近代化が図られる。大正時代にこうしたお膳立てが整ったことで、旅行は一気に大衆化したのである。
 しかし、お膳立てだけでは人は動かない。旅行熱の高まりに大きな役割を果たしたのは全国各地で発足した民間の「旅行団」や「登山団体」である。彼らが啓蒙(けいもう)に努めたのは新しいタイプの登山、伝統的な信仰登山とは一線を画した「登山のための登山」であり、この近代登山こそが、自由な旅行の端緒となった。
 登山ブームは山岳美を発見させ、都市美を再認識させ、興味はやがて寺社へ、遺跡へと広がっていく。
 和辻哲郎の奈良への旅行記『古寺巡礼』(1919年)がなぜあんなに自由奔放だったのか(それにひきかえ和辻を批判した亀井勝一郎『大和古寺風物誌』の窮屈なこと!)、やっとわかった。あの自由さは大正時代の新しい旅行気分を代表していたのである。
 著者が引用する、アメリカの歴史家ブーアスティンの言葉が印象的だ。
 〈旅行の盛んな時代には精神の盛んな活動があった。いつの時代にも、遠方の地へ旅行し、めずらしいものを見ることによって、人間は想像力を刺激された。彼らは驚きと喜びを発見し、自分の町の生活が、将来も今までと同じようにつづく必要はないのだと考えるようになった〉
 近代の旅の精神史。観光や旅行業の関係者にも示唆を与えるにちがいない。
    ◇
 あかい・しょうじ 51年生まれ。立命館大学教授(思想史・社会学)。共著に『メディア社会の歩き方』。

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