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北斎原寸美術館 100%Hokusai! [監修]小林忠

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2017年02月05日

[ジャンル]歴史 アート・ファッション・芸能

表紙画像

■風景画へ驚異の発見の旅

 この画集をジイッと見つめていると、見えないはずのものが見えてくる。部分拡大によって死角の視覚化に驚異のVisionを発見してしまうからだ。この発見は私の発見か、それとも北斎の発見なのか?
 さあ、北斎の驚異の旅に出かけよう。どの風景画でもいい。手前からなめるように見てもらいたい。その時、あなたは画面の外に位置するはずの高台の展望台から俯瞰(ふかん)で目前の風景を眺めていることに気づくはずだ。あるいは江戸時代であれば大凧(おおだこ)に乗って空中から眼下を望むことになるのかもしれない。その視線は近景→中景→遠景へと、クレーン車に搭乗している映画のカメラマンの視点と同化しながら、手前から奥の空間へ、まるでアストラル体(霊体)になったかのように徐々に上昇しながら、実にスリリングで不思議な肉体感覚の快感に陶酔することになるだろう。
 北斎の風景は画面内でピタリと静止しているはずだが、中空に浮上するあなたの肉体と共に、俄(にわか)に空間をえぐるようにズズズと、例えようのない身体感覚に襲われながら空中浮遊を体験することになる。そして、かつて経験したことのない作品観賞術に酔うに違いない。
 北斎の風景画では、視線と身体的移動運動によって初めて、北斎を再発見するのだ。俯瞰的視点に立って風景を空中から眺めることを、絵画に於(お)いて北斎が初めて発明した。それだけではない。時間も操作し、望む場所への瞬間移動をも可能にした。さらに、一枚の絵の中に複数の絵がJuxtaposition(並置)されていることに気づかされる。絵巻物の横に流れる時間とは別に、北斎の時間は縦に伸びるように上昇する近代西洋絵画の時間軸をも先取りする。と同時に、様式の多様化、主題の複数が同一画面の中で見事に調和する。
 それは北斎の絵が、確信犯的に計算された他の画家(特に現代画家)の他者または社会を意識した創造行為とは意を異にした行為から発しているからである。その行為とは、他者に見せるためではなく、自らの愉(たの)しみと歓(よろこ)びのため、それ自体を目的にすることである。そこが北斎の国際性である。そして遊びの精神。画面の中に配置された●と■と▲。笠の●、格子の■、富士の▲。セザンヌを彷彿(ほうふつ)とさせる幾何学造形とダイナミックな滝の直線と曲線の抽象形態。無人の絵でさえ、神というより人間の存在を感じさせる。
 北斎は宇宙の深淵(しんえん)への接触を目前にして命が尽きたが、未完の大悟こそが死を普遍化し、いまだに死からのメッセージが今日まで届け続けられていることを感謝したい。
    ◇
 葛飾北斎(1760~1849)の70年に及ぶ画業から「冨嶽三十六景」「諸国瀧廻り」「百物語」などの錦絵、「伝神開手 北斎漫画」などの版本、各種肉筆画の全体または部分を原寸(一部拡大)で掲載。

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