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いつかの夏―名古屋闇サイト殺人事件 [著]大崎善生

[評者]市田隆(本社編集委員)

[掲載]2017年02月05日

[ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■被害者の「生」の重みを問い直す

 「名古屋闇サイト殺人事件」が発生したのは2007年8月のこと。闇サイトの犯行を誘う書き込みがきっかけで集まった男3人が、無関係な名古屋市の会社員磯谷利恵さん(当時31歳)を路上で拉致した末、無残に殺害した。当時、ネット社会の深刻な病巣を示す事件として注目され、大きなニュースとなった。
 本書は、「主人公は犯人たちではなく被害者側」として、利恵さんや母親富美子さんらが生きてきた道をたどり、「死者」ではなく「生者」の物語として事件を捉え直そうとしたノンフィクションだ。
 富美子さんや、利恵さんの恋人だった瀧真語さんにインタビューを重ねたとみられる作品は、被害者側に徹底的に寄り添う姿勢に貫かれている。取材者が寄り添い過ぎると客観性を保てないとの見方もあるが、この作品の場合、寄り添って初めて見えてくるものが多いと感じた。
 利恵さんは幼いころに父親と死別した。それ以来、母娘ふたりのいたわり合うような暮らし。大学を辞めて漫画の勉強をしようとした利恵さんと母に生じた意見対立。漫画への夢が挫折した後、働きながら趣味の囲碁に打ち込んだことがきっかけで瀧さんと巡り合う。その生き方に接していると、凶悪事件の被害者としてよりも、笑い、泣き、恋した利恵さんの姿が印象深くなり、利恵さんが生きた証しを感得させる。
 富美子さんが娘の過去を振り返り、あの時こうしてやればよかったと「胸の奥にひきつるような後悔の気持ちが走る」場面には胸が詰まった。
 著者が「家族全体に降りかかった悲劇としてこの事件を書いてみたい」と取材を始めたのは、事件の発生から7年後。その歳月を経たからこそ書き得た内容だろう。今では多くの人にとって事件が記憶の底に埋もれていることは否めないが、事件を決して風化させないという強いメッセージも伝わってくる。
    ◇
 おおさき・よしお 57年生まれ。作家。元「将棋世界」編集長。『聖の青春』『将棋の子』『ロストデイズ』。

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